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「………………はぁ、はあ。はあ……はぁ」  太輔は、夢で目覚めた。  母の夢を見たのだ。幼き、おぞましき記憶。母の知紗が欲の為に起こした事件は太輔の人生を暗く、暗く落としていた。  1901年(明治34年)。元号が明治に変わってから三十年が経った。江戸から東京に名が変わり、天皇が都である京から東京に移り、西洋文化がどんどん取り入れられ、街の様子が瞬く間に変わっていくこの頃。  勝春と知紗の間に生まれた、ひとり息子の太輔。流矢家本家から見れば、太輔は分家に生まれた子になる。太輔が四歳の時、母の知紗は埜原瑛子(のはらえいこ)という、太輔と同い年の少女を殺害した。  母を警察に連絡したのは、勝春の使用人であった長沖安廣(ながおきやすひろ)だ。その長沖は今、太輔の使用人である。 「あー……。頭、痛い……」  太輔は今、ベット上で体育座りをしている。当時では珍しい、貿易商の叔父の行春から貰ったベットは一般市民には手に入らない代物だ。そのベット上で太輔は頭を抱えていた。頭痛があるのは決まって母の夢を見た時であり、こういった時は一日気分が優れず、ベットに横になっていることが多い。 「今日仕事休みで良かった……」  太輔は呟く。小学校の教員として働く太輔だが、小学校が休みの時は子供と同じように休みを取る。無論、学校に行き授業計画を立てる先生もいるのだが、太輔は知紗が起こした事件をきっかけに周囲から罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、精神を病んでしまったことから、何事にも休みながらでないと身体が持たないのであった。  太輔は罵詈雑言を浴びるようなことを一切していない。全ては知紗が被るべきことを太輔は全て背負ってきたと言っても良い。  知紗の事件は全て太輔が生まれたことで起きたのだ──。  そう、噂じみたことを流矢家の行春と勝春の両親が流したことが発端となり、矛先は全て幼き太輔に向かうことなった。 それ故か、知紗の事件は世に出ることはなかった。それは当時の政権が事件の悲惨さを世に出すことは日本国の恥だとの意見が尊重されことと、流矢本家が華族であったことから、上に立つ者としての立場がないと言った意見も出たことで、日本国を守るが為に事件が隠蔽(いんぺい)されることになったのだった。  そして、事件から約二十年が経とうとしていた。
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