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彼女の覚悟
23時半。
玄関の方でかちゃりと音がした後、だんだんと足音が近づいてくる。
扉の隙間から光が差し込み、それに続くように、疲れの色を浮かべた夏美の顔が覗いた。
「健吾、起きてたんだね。ただいま」
「⋯⋯おかえり」
次の言葉を探していた。
何から訊けばいいのだろうか。
今にも泣き出しそうな表情を作った夏美は、無言のまま、俺の胸に顔をうずめた。
夏美が帰ってきた――。
腕の中にいる夏美の体温を感じて、全身にかかっていた力が一気に抜ける。張り詰めていたものが、ようやく緩んだようだ。
「どうした、夏美」
表情はわからない。
だが、鼓動が速い。
「⋯⋯昼間はごめん。あんな態度とって。夏美の話もろくに聞かずに」
長い髪をそっと撫でる。
いつものシャンプーの香りがする。
もう、香水の存在は感じられなかった。
「素直に言えばよかったな。『行ってほしくない』って」
それから夏美は、俺の胸の中で小さくなって泣いた。子どもみたいに声を上げて。
こんな夏美を見るのは初めてだった。
全てを知っている気になっていたけど、俺の知らない夏美はまだたくさんいる。
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