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これ以上カナちゃんに捕まらないよう、早々に職場を後にした。 外に出たところでメールの着信が鳴る。 【ごめん。ちょっと遅れる。連絡するから何処かで時間潰してくれる?】 【うん。分かった。じゃ、待ってるわ】 【あのこと、もう一度よく考えて】 【うん。分かった。】 無意識に小さな溜息を洩らしてスマホをしまうと、待ち合わせ場所に近いカフェに飛び込んだ。 注文したホットカフェラテを手に、空いてる席を見つけ腰を降ろして、先刻(さっき)のメールをもう一度開く。 『もう一度考えて、か』 彼の送ってきた文字を見返す。 彼――、柏木義人(かしわぎよしと)と初めて会ったのは一年前だった。 その彼と知り合ったタイミングと言ったらそれはもう最悪。 それまで二年半余り付き合っていた、当時の彼とこれ以上はないくらいの最低の別れ方をした直後のことで――、本当は思い出したくない。 でも、柏木君が「もう一度考えて」何て言うから、思い出さない訳にはいかない。 二人の原点はそこなんだから。 最悪の別れ方というのは、まあ簡潔に言うと、私は当時の彼を友人に寝取られたのだ。 彼が浮気しない保証何てない――、男なんだからそういう気を起こしても不思議ではないと思っていた。 それでも二年半付き合って、互いの将来を考え始めた頃の出来事だったからショックだった。 ましてや相手が大学からの友人だなんて、有り得ない話しじゃない? 彼が浮気に走るのはともかく、何故彼女がそれを受け入れたのかも理解出来なかったし。 私が彼の浮気の答えに辿り着いたのは、彼からの最後の電話でだった。 『ミツホはさ、芯も強いし物事に対しての考え方もしっかりしてる。何て言うかさ、(ハート)(ボディ)も強そうで。でも男にしたら女って守りたくなる存在なんだよな』 そう言ってのけた。 確かに私の友人は、動物に例えるならリス以外ないような女だった。 詰まるところ二人は凸凹で、上手い具合に填まった訳だ。 でも、弾き出された私は強くなんてなかった。 (ハート)(ボディ)も……。 全てが弱かった。 全部が弱っちかった私は一人で夜の街に出た。 お酒なんか強くない癖に一人で店をはしごして……最初は焼き鳥屋で、あれこれ三十串以上食べて、次は居酒屋で中生を三杯、酎ハイを五杯。 そこまでは記憶があったが、その後記憶を喪失。 次に記憶を取り戻した時は、見たことのない部屋で横に見たことのない男がいた。 それが柏木君だった。 彼が言うには、私達は繁華街の外れのバーで知り合ったらしい。 柏木君が店に来た時、既に私は酩酊してて彼に絡んだそうだ。 もう立派な質の悪い酔っ払いだ。 酩酊した私は自力で動けず、柏木君に担がれるように店を後にして、彼に保護された。 人生で初めて、知り合ったその日に相手と夜を共にした。 次の朝、目を覚ますと私は下着姿だったのだけど、彼と寝たのかというと、そこははっきりとした記憶がない。 その日から彼との付き合いが始まった。 ただ、その交際というのが……ちょっと……変わっていた。 一緒に食事に行った。 お酒も飲みに行った。 酔い潰れないよう気を付けて。 遊園地に行った。 水族館にも行った。 海にも、お祭りにも行った。 でも、体の関係には一度もならなかった。 まるで健全な中学生みたいに。 いや、今時健全な中学生ならもう少し恋人らしいことの一つもするんじゃないかな。 そう思うくらい、私達の距離感は微妙だった。 曖昧な関係は一年続いた。 そんな関係に変化が起きたのが、今から一週間前のこと。 「付き合って欲しいんだ。ちゃんとした形で。真面目に考えたうえでの話しだから。ミツホもちゃんと考えて欲しい。返事は一週間後でいいから。一週間一杯使って考えて」 一週間前、呼び出されていきなりそれだけ告げて彼は帰って行った。 私にしてみれば『やっぱり今まで付き合っていた訳じゃないんだ?私達』と納得が半分、『何で今改めて?』と疑問が半分。 そしてこの一週間、納得と疑問を両手で抱えて迷い続けてきた。 決断を求められる前日からは、その圧力(プレッシャー)の上に生理痛も伴って心は疲れ果てていた。 『受け入れればいいじゃない』他人が 聞いたらそう言われそうだが、私の中ではそんなに簡単ではなかった。 問題は年齢差だ。 私と柏木君は十歳違いで、三十三歳の私に対して彼は二十三歳。 初めて会った時、彼はまだ大学生だった。 付き合う男が若くていい、なんて思われるかもしれないが、それもそう単純な話しではない。 年の離れた若い男を惹き付けられる自信なんて――ない。 その上、私の気持ちの何処かには『また捨てられるんじゃないか』というトラウマが燻っていたから。 その不安定な気持ちの所為で、占いの『傘を持つ人』――そんな空想とか妄想の範疇の存在にすら期待したのかもしれない。 一層の事、まだ見ない運命に身を預けられたら、その方が楽なんじゃないか――そんな思いもチラついてない訳じゃない。 この土壇場で、迷い追い詰められた私を更に追い込むように、スマホがメールの着信を知らせた――。
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