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決
【ミツホ、待たせてごめん。今そちらに向かってるから】
来た、どうしよう……取りあえずカフェを出て待ち合わせ場所に向かう。
気持ちはまだ何処かふわふわしたままだ。
足早に通路を歩き、エスカレーターに乗る。
上階に上がるとそこはもう、待ち合わせのステンドグラスのすぐ前だ。
柏木君の姿を探して、辺りを見渡しながら歩く。
周囲をキョロキョロ見渡していると、ある特徴を持った人物が目に留まった。
スーツを着て小さめのビジネストートを片手に持っている。
そして、もう方片方の手には傘が――。
一瞬、ドキッとして思わずその人に視線を向けた時、スマホの着信が更に私を驚かせた。
『メール?』そう思って手に取ると電話の着信だった。
相手は柏木君だった。
『え?今、何処?』慌てて出た私と違い彼は違和感を感じるほど落ち着いていた。
『ミツホから見て左の方。見つけた?』
言われた方向に視線を移すと、スマホを耳に当てて手を振っている柏木君を見つけた。
そちらに向かって小走りに駆け出した私を、彼の声が止めた。
『ちょっと待って。そこで止まって。そこから受話器越しに話して』
『何で?どうしたの?』ちょっと怖くなった所為か声は少し震えていたかもしれない。
『……変かもしれないけど、怖いからさ』
『怖い?どうして?』柏木君も、怖いんだ……同じなんだ、同じ感情を抱いていることに不思議と安心した。
『人の本心を確かめるのって怖いよな。でも訊かないといけないから。ミツホの出した答えを』
『待って。その前に私が訊きたいことがあるの。どうして今なの?今まで過ごしてきた時間って何だったの?』
そう――私はそれを確かめたかった。
それを訊かないと、答え何て出せない。
私は耳を澄まして柏木君の答えを静かに待った。
ただ、胸の鼓動だけは内に響いている。
『二人が初めて出会った日――六月十五日を最高の日に、一番の思い出の日にしたかった。二人の出発の日なんだから。ミツホ、あの日ミツホは何て言ったか覚えてる?』
私は胸の内が、ぽかぽか温かくなってくるのを感じながら首を横に振った。
『覚えてる訳……ないでしょ?だってあの時、酔っ払って柏木君に助けて貰ったんだから。私、何て言ったの?』
『今日は人生、最悪の日だぁ!って駅前のデッキで月に吠えてたよ』
最悪だとは思ってたけど、そんな酔っ払い丸出しの行動してたなんて、胸の内だけでなく顔まで熱くなってくる。
『そんなことしてたんだ。それは恥ずかしよね……でもさ、あの日から今まで一緒にいてくれたのって何?沢山いろんな所行ったけど、恋人らしいことってなかったじゃない?その、最初の夜の後は……』
『それかぁ、それは試したかったんだ。あ、ミツホのことじゃないよ。俺自身をだよ。一年間ミツホが見続けてくれるような存在になれたら、自信を持って気持ちを伝えられるって……あ、あとさ、最初の夜って何もなかったよ。ミツホ、止めたのに勝手に服脱いで寝たんだから』
『え、えと、そうだったの?だからあんなに健全だったんだ?それに最初の夜……何も
なかったんだ……何で一年もそんな風に大事にしてくれたの?』
『何て言うのかな……もちろん色々なとこが好きだけど。いい言葉出てこないなぁ……あ、そう、凸凹みたいじゃないか?俺達って。上手く填まってると思わない?』
『思わなくは……ない……けど。一年も私みたいなアラサー女を待つなんて……柏木君、それでいいの?』
『それはイエスって受け止めるけど、いい?』
私はもう、自分の殻に籠ることは出来なくなっていた。
『柏木君……もう……さぁ、そっち行っていいかな……?』
私は柏木君の元へ一歩踏み出した。
その時私の視界の中で、何かが動いた。
私の右手に立っていた先刻のスーツ姿の傘を持った男が、ゆっくりと私の前の前を横切って行く。
私が慌てて足を止めると、今度は左手から若いワンピースの女が歩み寄って来た。
そして――、目の前で傘を持つ男がワンピースの女をハグした。
互いに両手を背中に回しての激しい抱擁は続く。
映画のワンシーンのように……。
これは私の妄想なのか――?いや違う。
これは現実だ。
目の前の二人の抱擁で、その向こうの柏木君の姿は完全に掻き消されて見えない。
『え、え?何?柏木君、ちょっと柏木君が見えないじゃない』
漸く抱擁に満足した傘を持つ男とワンピースの女は、腕を組んでやっと私の視界から退席してくれた。
開けた視界の中に柏木君の姿を求めた……。
いた――。両手を広げて、体で『おいで……』と言っている。
まるで、優しい鳥が羽根を広げているみたいだ……。
私は柏木君の胸に飛び込んだ――。
温かい……。
この前、人の胸の温もりを噛み締めたのって何時だろう……。
こんなにも……こんなにも温かいんだ。
私は温もりを味わいながら、ふとあることを思い出した。
「ねぇ、柏木君……今日……傘って持ってる?」
柏木君は不思議そうに首を傾げながら答えてくれた。
「ん?傘?こんな晴れた日に傘なんて……あ、いや折り畳みのならあるけど。俺、心配性で鞄に色々入れてるから。でも、何で?」
「ううん、何でもないの……。占いって侮れないなって……」
きっと貴方を選んだのは、こうして貴方にずっと包まれていたいから。
そして、幸運の占いの所為かな……。
私は彼の胸に深く顔を埋めた。
貴方にこんな顔を見られるのが恥ずかしかったから……。
END
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