9人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ
結
「あれ?若菜ちゃん、どうしたの?それ」
店の軒先でこっそりと隠れてしてたのに、見つかってしまった。
「あっ、マスター?すいません。この場所借りてもいいですか?」
「ん?何それ。あ、照る照る坊主?」
「はい…逆さま何ですけどね。雨乞で……」
「ああ、例の里奈ちゃんの、か。いつまでなの?香山さん」
「それが…今日までなんです。結局この三日晴れ続きだったから」
「天気予報見た?」
「はい……。曇り一時雨。降水確率二十パーセント……」
マスターは首を振りながら「俺も今日は祈ってるよ。大雨な」そう言ってくれた。
『マスター、ありがとう』雲一つない空を挑む気持ちで見上げた。
開店時間を過ぎ、時間は雲の合間に太陽の陽射しが増すと供に容赦なく過ぎて行く。
昼を過ぎ、壁の時計は二時、三時時、四時と残酷に刻を刻んで行く。
『もう、降らないのか…』九割九分諦め掛けた時、ポケットに入れたスマホが鳴った。
取り出して見ると、大雨警報のエリアメールの着信だった。
『雨、雨、雨が降る?本当に……?』
メールはこの地域上空の大気状態が急速に不安定になり、ゲリラ豪雨が起きる可能性を告げていた。
疑心暗鬼に空を見上げると、既に空の色は気味が悪いくらいに黒く変わっている。
そして――、待ちに待った雨は天空から落ちてきた。
降り始めた雨は瞬く間に地面を打ち、激しく飛沫を上げている。
降り始めて直ぐ、里奈さんが慌ただしく店に飛び込んで来た。
「あ、里奈さん。やりましたねっ。降ってきたっ」
「うん。どしゃ降りね。私、もう諦め掛けてた」
これで舞台は整った。
後は香山さんを待つだけだ。
私達は店内で打ち合わせをして香山さんを待った。
一時間待った。
二時間待った。
閉店時間まで後僅か、まだ香山さんは来ない。
遂に閉店時間になったが、香山さんは来なかった。
「まあ、仕様がないよね。こういうこともあるよね」
長い待ち時間の沈黙を破って里奈さんが呟いた。
「ごめんなさい。私が無理にでも連絡取ってたら……」
「若菜さんの所為じゃないよ。運命、運命」
そう笑顔で返すけど何処かぎこちないし、声に力はなかった。
再び沈黙が始まった時、突然店に激しい雨音が飛び込んできた。
私達がドアの方を振り返ると、息を荒くした香山さんが立っている。
「まだ……開いてます……か」息を吐きながら言うと私達を正面から見詰める。
「はい。もちろん。いらっしゃい、香山さん」私は里奈さんに目配せして『里奈さん、頑張って』と声援を送った。
戸惑いながら、里奈さんは呟くように口を開いた。
「あの……香山さん。私、迷ったけどやっぱり香山さんに伝えないと後悔すると思って。でも声で伝える勇気がないから……」
そう言って、僅かに震える手で持った、栞が挟まった一冊の本を差し出す。
香山さんはそれを受け取り、栞のページを開くと優しく目許を緩めた。
「……谷川俊太郎さんの『ここ』ですね。」
ページに目線を落とし、指で文字を擦りながら読む姿はとても柔らか気だ。
香山さんは顔を上げ、里奈さんを見詰める。
里奈さんも香山さんを見上げ見詰める。
私には分かっていた。
これは里奈さんにとってとても勇気のいることだ。
「ありがとう。え、えと、里奈さん……僕にとっても此処が『ここ』でした。その、これから先も僕と貴女の『ここ』だといいんですが……いいですか?」
里奈さんは瞳を大きく見開いてから、少しだけ俯いて小さく小さく頷いた。
「はい……私にとっての『ここ』は『Books』です……。これからも、ずっと変わらず……香山さんと一緒……です」
「一緒……か。そうですね。同じ『ここ』で……ずっと……ですね」
二人を見詰めていると、誰かに肩をポンッと叩かれた。
横を振り向くと、マスターがちょっと苦い笑みを溢している。
そんなマスターの表情は初めて見るかも。
「雨も悪くはないな。たまには。場合に因りけり、だけどね」
「そうですね。天気の神様に感謝です。今日の雨をありがとう……」
私は外の降りやまない雨が描く、雨色の街角を見て、そっと呟いた。
END
最初のコメントを投稿しよう!