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「あれ?若菜ちゃん、どうしたの?それ」 店の軒先でこっそりと隠れてしてたのに、見つかってしまった。 「あっ、マスター?すいません。この場所借りてもいいですか?」 「ん?何それ。あ、照る照る坊主?」 「はい…逆さま何ですけどね。雨乞で……」 「ああ、例の里奈ちゃんの、か。いつまでなの?香山さん」 「それが…今日までなんです。結局この三日晴れ続きだったから」 「天気予報見た?」 「はい……。曇り一時雨。降水確率二十パーセント……」 マスターは首を振りながら「俺も今日は祈ってるよ。大雨な」そう言ってくれた。 『マスター、ありがとう』雲一つない空を挑む気持ちで見上げた。 開店時間を過ぎ、時間は雲の合間に太陽の陽射しが増すと供に容赦なく過ぎて行く。 昼を過ぎ、壁の時計は二時、三時時、四時と残酷に(とき)を刻んで行く。 『もう、降らないのか…』九割九分諦め掛けた時、ポケットに入れたスマホが鳴った。 取り出して見ると、大雨警報のエリアメールの着信だった。 『雨、雨、雨が降る?本当に……?』 メールはこの地域上空の大気状態が急速に不安定になり、ゲリラ豪雨が起きる可能性を告げていた。 疑心暗鬼に空を見上げると、既に空の色は気味が悪いくらいに黒く変わっている。 そして――、待ちに待った雨は天空から落ちてきた。 降り始めた雨は瞬く間に地面を打ち、激しく飛沫(しぶき)を上げている。 降り始めて直ぐ、里奈さんが慌ただしく店に飛び込んで来た。 「あ、里奈さん。やりましたねっ。降ってきたっ」 「うん。どしゃ降りね。私、もう諦め掛けてた」 これで舞台は整った。 後は香山さんを待つだけだ。 私達は店内で打ち合わせをして香山さんを待った。 一時間待った。 二時間待った。 閉店時間まで後僅か、まだ香山さんは来ない。 遂に閉店時間になったが、香山さんは来なかった。 「まあ、仕様がないよね。こういうこともあるよね」 長い待ち時間の沈黙を破って里奈さんが(つぶや)いた。 「ごめんなさい。私が無理にでも連絡取ってたら……」 「若菜さんの所為(せい)じゃないよ。運命、運命」 そう笑顔で返すけど何処かぎこちないし、声に力はなかった。 再び沈黙が始まった時、突然店に激しい雨音が飛び込んできた。 私達がドアの方を振り返ると、息を荒くした香山さんが立っている。 「まだ……開いてます……か」息を吐きながら言うと私達を正面から見詰める。 「はい。もちろん。いらっしゃい、香山さん」私は里奈さんに目配せして『里奈さん、頑張って』と声援(エール)を送った。 戸惑いながら、里奈さんは呟くように口を開いた。 「あの……香山さん。私、迷ったけどやっぱり香山さんに伝えないと後悔すると思って。でも声で伝える勇気がないから……」 そう言って、僅かに震える手で持った、(しおり)が挟まった一冊の本を差し出す。 香山さんはそれを受け取り、(しおり)のページを開くと優しく目許を(ゆる)めた。 「……谷川俊太郎さんの『ここ』ですね。」 ページに目線を落とし、指で文字を(なぞ)りながら読む姿はとても柔らか気だ。 香山さんは顔を上げ、里奈さんを見詰める。 里奈さんも香山さんを見上げ見詰める。 私には分かっていた。 これは里奈さんにとってとても勇気のいることだ。 「ありがとう。え、えと、里奈さん……僕にとっても此処(ブックス)が『ここ』でした。その、これから先も僕と貴女の『ここ』だといいんですが……いいですか?」 里奈さんは瞳を大きく見開いてから、少しだけ(うつむ)いて小さく小さく(うなず)いた。 「はい……私にとっての『ここ』は『Books』です……。これからも、ずっと変わらず……香山さんと一緒……です」 「一緒……か。そうですね。同じ『ここ』で……ずっと……ですね」 二人を見詰めていると、誰かに肩をポンッと叩かれた。 横を振り向くと、マスターがちょっと苦い笑みを(こぼ)している。 そんなマスターの表情は初めて見るかも。 「雨も悪くはないな。たまには。場合に因りけり、だけどね」 「そうですね。天気の神様に感謝です。今日の雨をありがとう……」 私は外の降りやまない雨が描く、雨色の街角を見て、そっと呟いた。 END
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