ファーストデート

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ファーストデート

私のプロフがアップされ暫くすると、問い合わせがお試しメールを通じて幾つか届いた。事務局スタッフのアドバイスを貰いながらそれらに出来るだけ丁寧に答えてふ行く。 そうしている内に、その中の一人から初めてのデートの申込みが届いた。 「すごいじゃない。こんなに早く初デートなんて。落ち着いて頑張ってね」片平さんからも励まされ、私は遂にその時を迎えた。 只、ちょっと気掛りなのは、相手からの反応が薄いと言うか、余り具体的な要望が無い事だった――。 ゴールデンウィークの最中、初デートに臨んだ私は、待合せ場所である渋谷駅近の商業施設入口に立っていた。待合せ場所は互いに話して決めた。ハチ公前何かで待合せると行違いになったりする事もあるから、敢えて人の少ない場所を選んでの事だった。 ここ迄は良かったのだが『遅刻しない様に』と約束の三十分以上前に待機(スタンバイ)したのが仇になった。 入口付近に立つ私は、近付く気配に顔を上げた。そこに立っていたのは、私より少し若い二人の男性だった。 そして、一人が話し掛けてきた。「お姉さん、一人?俺達これからカラオケ行くけど一緒にどう?」 『しまった――。選りに選って今、ナンパ?』事務局から、待合せ前にナンパ等に逢わない様に、と言われていたのに。下手をして顧客を巻き込んだら大変な事だ。 「人と待合せなので」マニュアル通りにキッパリと断るが、相手は更にしつこく食い下がって来た。 『これは不味い』と一度この場を離れて、施設内の人が集まっている所まで避難した。待合せ場所の様子を窺ってみると、先程の二人はまだ辺りをブラブラと歩いている。暫くして漸く二人が去った時には約束の時間を五分程過ぎていた。 私は慌てて待合せ場所に戻ったが、辺りに相手らしき姿が見えない。 『やってしまった――。初デートで合流失敗なんて…』動揺して両手で顔を覆う私の肩を誰が不意に叩いた。 『はっ』として顔を上げ振り返ると、一人の男性が立って、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。 「あの、もしかして滝本さんですか?」 「は、はい」滝本は私の源氏名だ。事務局スタッフと話して、本名と一字も被らない『滝本麻理香』に決めた――私のもう一つの名前だ。 「…安藤智(あんどうさとし)さん?」少し震える声で答える。 「はい、安藤です。良かった、会えて」 私は泣きそうなのを堪えて声を出した。 「申し訳ございませんっ。遅刻してしまって。本当にごめんなさい」何度も何度も頭を下げてひたすら謝る私を温かみのある声が包んだ。 「いや、いいんですよ。俺も少し前に来たので。それより大丈夫でしたか。先程の…あれ」 安藤さんは、私が待合せ場所でナンパに逢っていたのを見ていたそうで、それを心配してくれていた。『顧客に心配させるとは何て事してしまったんだろう』自責の念で胸が一杯になっている私に安藤さんはまた声を掛けてくれた。 「何処か場所、変えましょうか?」 私は半泣きに近い、酷い有様で「じ、じゃあ、この中のカフェでよろしいですか」やっとそれだけ口に出し、安藤さんと肩を並べて歩き始めた。 こうして私の初デートは波乱の幕開けとなった。 数分後、私と安藤さんはカフェの椅子に腰を落ち着けた。私も漸く会話が出来る程度には気持ちが落ち着いて来た。互いに飲物を注文した所で改めて挨拶を交わしたが、先程の事もあり、それも何処か肌骨(ぎこち)ない感じは拭えない。 「先程は大変失礼しました。改めて…ですが、滝本麻理香です。今日は一日よろしくお願いします」 「いや、こちらこそ。あの時、直ぐ駆け付けたら良かったんですが…すみません」 安藤さんは頭を掻きながら、申し訳無さそうに頭を下げた。 「安藤さんは悪く有りません!私のミスですから。初めてでこんな失敗するなんて…ごめんなさい」 「えっ、は、初めてなんですか…俺もレンタル初めてなんで。お互い様、ですね」 そう、事前のメール交換で安藤さんがレン(かの)利用が初めてなのは知っていた。只、それ以外の事は書いてくれなかったので、どんな人なのかは良く分からなかった。 改めて安藤さんの様子を窺うと、身長は百八十センチを優に越える、ガッチリとした体つきは熊さんのようだ。その彼が頭を掻いている仕草は何処か可愛らしかった。落ち着きを取り戻した所で今日の予定を確認してみる。 「えと、今日は六時間の予定で大丈夫ですか?」 「はい、大丈夫です」 「料金は事前にお振込頂いてるので。今日は何かご希望とか有りますか?」 「特には無い…いや、有ると言うか」 また、頭を掻きながら何か迷っている様に歯切れ悪そうに答えている…何か有るのだろうか? 「気にせず何でも言って下さい」 彼は迷いに迷った挙げ句に、漸く口を開いた。 「俺、妹が一人いるんです。両親は離婚していて、俺達は母親に育てられたんです。俺は 五才違いの妹を父親代りのつもりで面倒を見てきました。ずっと、ずっと妹ばかり見続けていて…そしたら、気付いたんです。って事に……これってシスコンですよね」 彼は俯いて、大きな背中を丸めながら話してくれた。それを話すのは彼にとって勇気の要る事だったに違いない。誰にも言えなかった――彼だけの隠し事。 「安藤さんは、つまり…自分が妹以外の(ひと)を好きになれるか、それを確めたい…と言う事ですか?」 彼はコクリと頷いた後、顔を上げて私をジッと見詰めながら、慌てて言った。 「あ、いや、滝本さんに恋人になって欲しいとかではないんです。レンタル彼女なのは承知してます。只、妹以外の(ひと)を好きになれたら、その方が俺も妹も幸せになれるんじゃないかと思って」 「分かりました。それじゃ私、今日は智さんの彼女…ですからね。私だけを見ていて欲しい…です。いいかな…」 今迄の人見知りが嘘の様に、照れ混じりだけど笑みが溢れた。それは多分、この人の力になりたい…だって、こんなにいい人なんだから、そう自然に想えたからだと思う。 私達はカフェを出ると、商業施設内の通路を歩きながら次のプランを話し合った。 「智さんは今日してみたい事ある?」 「いざ言われると…思い浮かばない、ですよね」 「じゃあ、私がしてあげたい事でもいい?」 「えっと、はい…」 「ふふっ、私のしたい事は…服選び。彼が出来たら一緒に服選んでみたかったの!…いいよね?」 「は、はい…」まだまだ緊張の解れない彼の手を引いて、身近のメンズショップに飛び込む。 「服だと、どんな服が好きなの?」 「どんな…別に洒落たものとか縁がないし…」 「じゃあ、私のお任せでいい?折角だから普段着るのがいいよね。今頃だと、ポロシャツとかどう?」 「あ、それなら休みの日とか着れますし、いいかも」 彼も少し乗り気になってきたみたい。私はかなり真剣に服選びを始めた。彼に合いそうな色やデザインの物を幾つか手にし、似合うかどうか彼の体に当ててみる。 服を合わせる私と彼の視線が、数瞬の間だけ交差する。慌てて視線を反らす彼の横顔を、私の視線は追い掛ける。体の大きな彼が恥じらう様に向ける横顔は……何だろう……可愛く想えて来る。 彼の好みも交えつつ、選んだポロシャツの包を大事そうに抱える彼と連れ立って店を出ると、思い詰めた表情のまま彼が口を開いた。 「ありがとうございます。女の人に服を選んで貰うなんて初めてで。何か変な汗出てきた」 絵に描いた様な緊張に満ちた彼を見詰めていると、笑みが溢れてきた。 「彼女相手に、ございますって……智さん固過ぎじゃない?ほら、力抜いて」 歩きながら彼の肘に腕を絡めて、時折彼の顔を見上げる様にして見詰める。けど、彼は目の前に釘付けになった様に真っ直ぐ前を見詰めて私を向いてくれない。 人通りが増えてきた通路――人混みを避けながら歩くと、自ずから二人は寄り添い、そして肌は触れる。触れた肌の感触と間近に聞こえる息遣いからまだ彼の緊張が続いているのが分かった。 少し『間』を取ってあげた方がいいのかな、と思い通り掛かったトイレの前で立ち止まると「ちょっとメイク直してくるね」そう言って彼を緊張から解いてあげた。 パウダールームでメイクを直して数分後、彼の緊張が解け少し落ち着いた頃を計らい外に出た。 「智さん、待たせてごめんね。行こっか」 声を掛けて振り向いた彼の表情は、今迄以上の緊張の色に満ちていた――。 『えっ、何で…どうしたの?』 私は気付かなかった――体の大きい彼の後ろにもういた事を。驚きと困惑、そして助けを求める様な表情を見せる彼の向こうに、疑念の籠った視線を放つ(ひと)が立っている。 「どちら様、ですか?」視線と同じく疑念を声色に乗せた声は、妙に低く聞こえた。 私と彼女の間で、双方をチラ見している智さんを見て、私にはこのパズルが解けた様な気がした。 つまり、彼女は――。 「智さんの妹さん、ですか。私、智さんとお付き合いしています、滝本と申します」 「お付き合い?え?お、お兄ちゃん…ちょっと。えぇっ?」彼女は先程の低い声色と違い、天に突き抜ける様なハイトーンボイスで驚いた。 私は彼女が驚いている()に、智さんに目配せした。『私に話し合わせてっ。ここは乗り切りましょっ』そういうサインのつもりで。 「あ、ああ、綾那に言ってなくて、わ、悪かったな。こちら滝本麻理香さん…」 『良かった。分かってくれたみたい』私のサインが通じた事に少し安心して、再び彼女に向き合った。 「実は今日が初デートなんです。妹さんがいるのは聞いてましたけど、こんな形でお会いするなんて。驚かせてごめんなさい」 私の話しを黙って聞いていた彼女は、一つ小さく息を吐くと私を見据えた。 「滝本さん、少しだけ時間貰えますか。ちょっとだけお話しがあります。お兄ちゃん、いいよね?」彼女は強い視線のまま、そう言い放った。 智さんには席を外して貰い、私と彼女は休憩所のベンチに腰を下ろした。彼女は先程と変わらない、強い意思を持った瞳を前に向けたまま訊いてきた。 「貴女は――の彼女、なの?」 聞いた途端に心臓がトクンと鳴った。 『レンタル彼女だと、気付かれた――?』 私は智さんの為にも、と心の中で深呼吸して動揺を鎮めた。 「…そうよ」彼女の横顔に微笑み言葉を続ける。 「綾那さんより智さんの事、まだまだ知らない、彼女初心者だけど。パズルを解く様に、互いの知らない所を埋めていけたらいいな…と」 彼女はまた一つ小さな溜息を吐いて、先刻(さっき)より少しだけ柔らかい瞳で見詰めてくる。 「今一つ信じられなくて…貴女みたいな綺麗な(ひと)が兄を選んだのは何故?」 「選んだんじゃないわ。。惹かれる理由は、身近な貴女の方が分かるんじゃない?」 眉間を寄せ、怒った様な困った様な表情を浮かべて、彼女は辿々しく口を開いた。 「――でも」 「でも?」 「貴女は知ってるんですか?兄が恋愛出来ない理由(わけ)を――」彼女が詰まらせながらも綴る言葉は、波となって兄を想う気持ちを寄せて来る。 「…それは」彼女の問いに言葉が詰まる。当り前だ…今日初めて会ったレン(かの)なのだから。 「それは…智さんは貴女をずっと見続けて、これからも貴女が幸せになる迄、見届けようと…」私は智さんから聞いた本当の理由(わけ)を伏せ言葉を選んだ。 「違うわ…やっぱり知らないじゃない。兄は貴女にそう言ったんですか?」彼女の語気は再び強い波長を放つ。 「そうよ。でも…智さんは私が感じているより、もっと貴女を深く、大切に想っているのかもしれないわ…だから」 「だから違うんです!」近くを通り掛かった親子連れが驚いて振り返る。彼女はその様子を横目に声量(トーン)を落として続けた。 「そうじゃない。違うんです…私が兄を繋ぎ止めてるんです。私が男の人と交際とか結婚とかしなければ、兄は私の側に居続けてくれる――そういう人だって分かっていたから。なのに、何の話も素振りも無く貴女が現れた――どうしてなんですか?」 そうか、先刻(さっき)私に注がれた視線は、自分から兄を奪う好敵手(ライバル)に向けられた物だったんだ…。えっ?と言う事は彼女は智さんを?まさか…。だとしたら、私はどうしたらいいの?私は単なるレン(かの)で、二人の間に割込む立場じゃない。でも、これだけは確めないといけない。 「綾那さん、分かったわ。少し落ち着いて…つまり、貴女は智さんをお兄さん以上と言うか、別の存在として見てる…と言う事?」 「……」彼女は無言のままだ。それは、つまりイエス、なの?その時彼女が辛うじて聞き取れるくらいの呟きを洩らした。 「ダメ…ですか。自分でも分かってますブラコンだって。でも仕様が無いんです。素直な気持ちなんだから。兄が貴女を選ぶなら、それも仕様が有りません。只――私には時間が要ります。少し、いや多分、沢山…」 先程までの強い目差しと態度で張り詰めていた彼女が、今は自信を無くした小さな女の子の様に泣き出さんばかりの色を浮かべている。 所詮、私はレン(かの)――仮の彼女だ。私はどうすればいい?ええい、もうっ! 「貴女の気持ちは…分かりました。その上で智さんと話しさせて貰ってもいい?」 彼女は言葉無く、小さく一度だけ頷いた。私は彼女をベンチに残して、私達を離れて見ていた智さんの元に歩み寄った。 「ちょっと話しましょうか。えと、歩きながらでいいわ」二人はゆっくりと肩を並べて歩き始めた。 歩き始めて二、三分は互いに会話も無かった。きっと、彼もどう切り出すか迷っているのだろう。私は呼吸と気持ちが平静に戻ったのを確め、努めて穏やかに話し掛けた。 「妹さん、いい方ですね」 「はい、何か言ってましたか?」 「ええ、妹さん…智さんの気持ち、分かってたみたい」 「え?それって、綾那に対しての…僕の…」 「はい。いつまでも側に居て欲しいって、言ってましたよぉ」チラリと横顔を覗き込むと口を真一文字に結んでいる。かなり緊張してるみたい。 「その上で、智さんに彼女が出来たら諦めるって。時間掛けてもそうするって…どうしますか、お兄さん?」 「どうって…参ったな。兄妹でシスコン、ブラコンなんて。互いに隠してたんですね」 「あ、それも言ってましたよ。まあ、これでハッキリしたんじゃないですか」 「げっ、何か突き放す様な、他人事の様な…ですね」 「突き放してはないですけど、他人事、ではありますね。だってレン(かの)ですから」 「他人でレン(かの)の滝本さんに訊くのも何ですが、どうしたらいいと思います?」 「あら、私ちゃんと答えますよ。仕事(レンタル)中ですからね。そうですね…どういう選択であれ、しっかり向き合って下さい。私が言えるのは、それだけかな」 「それで綾那は幸せなんでしょうか…」 「智さん、人の幸せの形って…多分、一つじゃないですよ。二人が納得した答えならいいんじゃないですか。きっと、それが正解なんじゃないかな。その上で必要なら、またレンタルして下さい」 私はそう言って立ち止まる。二、三歩先を行き過ぎた彼が私の元に戻る。 私は彼の両手を同じく自分の両手で包んで微笑んだ。 「次の御利用(デート)お待ちしてますねっ」 それから二人で綾那さんの所へ戻り、私はそこで安藤兄妹の後姿を見送って別れた。 その日から一週間後、智さんから再びレンタルの指名が入った。一時間だけのショートタイム。 何の為に来たのかは…私の想定内だった。どうも常連さんを取り零したみたいだけど…。二人が互いの将来を見詰めて行く事――それを二人で決めたなら、それでいい。 私もこのレン(かの)という仕事で随分変わった気がする。これはもしかして成長――と言うのかな? さあ、また明日から誰かの為に、誰かを癒して――そして自分を変えて、何かを得て成長出来る様にちょっとだけ、沢山じゃなくていい、ちょっとだけ頑張ろう。 これからどんな人がレンタルしてくれるのかな…。
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