高みから見えるもの

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高みから見えるもの

成層圏――高度一万メートル。 私はその高みを自由落下する。 私に本当の体があったなら、顔を打つ風の冷たさを感じる事だろう。 その顔も風圧で自分や家族が見たら引いてしまうくらいの変顔になっているに違いない。 でも大丈夫、今の私に肉体は無い。 ストレートロングの髪はまるで吹流しみたいに後ろに長く棚引いている。 『なんて気持ちいいんだろう。気分爽快』 更に降下を続けた私は、身に付けた空色のチュニックワンピースが激しくはためく様を見て微笑む。 『いい感じ』そう思いながら、私は呟いた。 「もうすぐ会いに行くよ」 直衛(なおえ)君、秋穂(あきほ)春樹(はるき)、みんな元気かなぁ。一年振りだもんね。子供達の成長に期待、期待。 ニンマリとニヤついた、ちょっとだらしない笑みを浮かべて、私はグングン降下して行く。真っ白な分厚い雲を幾つも突き抜けて。 高度が下がるにつれ、私の視界に慣れ親しんだ景色が飛び込んで来る。 「あ、秋穂と春樹が通う小学校だ。学校前の大きな通りを真っ直ぐ行って、右に曲がると我家だぁ」 地上三十メートル――降下スピードを落とした私は、そこにふわりと浮かんで一年振りの地上を見渡した。 私が不慮の事故であっけなくを去ってから四度目の里帰り。 最初は、私を亡くした家族の悲しみを見るのが辛かった。 でもやっぱり家族のその後は気になる。そうやって二回、三回と里帰りを繰り返すうちに、家族に少しずつ笑顔が戻るのを見て、私も安心して家族を見守ってこれた。 それに子供達の成長を見るのも、すっごい楽しみ。私はそうして四度目の里帰りの為、地上に舞い降りた。 何故私は一度死んだ身でこんな事が出来るのか?それはこの里帰りは私の労働の報酬だから。 死んで天国へ登った私は、そこで神様に出会った。神様の仕事は死んで天国に来た人が過ごす場所を探し、天国での落着き場所を決める事だった。 天国に来た私は、神様にスカウトされたのだ。天国に来た人達各々に相応しい、天国での住まいを決める為のヒアリング――それが神様から任された私の仕事だ。 その報酬として私が神様に要求したのが、年に一度の里帰りだった。ただし、無制限と言う訳ではなく、五回までと決められていた。つまり、五年限度の期限付非正規雇用だ。 だから――愛する家族に会えるのは、今回を含めて、あと二回……。あと、二回だ……。 会えるのもあと僅か……そんな感傷に浸って、ぼんやり地上を眺めていた私を現実に引き戻す光景が目に飛び込んで来た。 小学校の手前数十メートル、通りを挟んだ反対側に大きな公園がある。生前、私も子供達を連れてよく遊びに来ていた場所だ。 子供達との思い出を手繰りながらその公園の辺りを眺めていると、公園の入口からサッカーボールが道路に転がり出て来た。 私の脳裡に嫌な予感が過った次の瞬間、それは現実になった。ボールを追う様に小さな男の子が公園から駆け出す。 同時に私の視野に入ったのは道路上を公園入口付近に差し掛かった一台の軽トラック。 『あっ、ダメ。道路に出ないでっ』思わず両手で口許と頬を覆い胸の中で叫んだ。 その瞬間、見開いた私の目に映ったのは奇妙な光景だった。道路に飛び出した男の子が軽トラックにぶつかる直前、男の子の首がくの字に曲がり歩道へ弾かれた――。 『撥ねられた?』一瞬抱いた疑念は直ぐに否定された。 歩道上の男の子は若い女性に抱き締められ、わんわん泣いている。 男の子の無事な姿を見て、ホッと息を吐いた。良かった……。男の子の首がくの字に曲がって見えたのは、どうやら女性が男の子の襟首を引っ張って引戻した為だったみたい。 「怪我は無い?もう大丈夫。怖かったね。大丈夫、大丈夫」 その女性は男の子を引っ張っり戻すと言う、大胆な行動をした人とは思えないくらい男の子を優しく包んで歩道に座込み、声を掛けている。 「あー、すいません。大丈夫ですか?お怪我無いですか?」 「大丈夫です……けど。この道、公園や学校に面してるから、もうちょっと気を付けて下さい!」 「あ、お母さんですか?すいません。気を付けます。本当、すいません。」 軽トラックを運転していた中年男性が窓越しに謝ると、男の子を助けた女性は少し強い口調で答えた。 「別に、私お母さん……じゃないけど」女性が運転手をチラ見して口籠っていると、公園から男の子の母親らしい人が駆け寄って来た。 「浩和(ひろかず)、道路に飛び出したらダメって言ってるでしょっ?怪我は無い?あ、すみません。ちょっと目を離した隙にこんな事になって……お怪我ありませんか?」 心配そうに二人を見詰める母親に女性は笑顔を返した。でも私にはそれがちょっと無理をした作り笑顔に見えた。 「大丈夫です。お子さんも怪我は無いみたいですし、良かった」 男の子の手を引いた母親は、何度も振り返っては頭を下げて帰って行った。 私も子供が二人いる身としては、他人事ではない。あ、私もう死んでるんだった。そうか、秋穂と春樹には今、母親がいないんだ。そう思うと、母親として子供達に申し訳ない気持ちが胸を満たした。 子供達……あ、そうだ。早く家に帰らないと。直衛君はまだ帰ってないだろうけど、秋穂と春樹は帰ってるかもしれない。 私は目の前で起きたアクシデントから気持ちを切り替えて家へ翔び帰った。
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