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小さな声で、彼女は言う。
「……うん、今日もいくつか記憶をレンタルして……ずっとそれを見てたから、ちょっと元気になったよ」
「へえ、何を借りたの?」僕は努めて明るい調子で尋ねる。
「いろいろ……バンドやってライブやって、キャーキャー言われてる記憶とかさ……あたしバカだよね……あとは楽しい家族とか、楽しい学校生活とか……」
ほら、ここでもまた楽しい学校生活だ。
そのたぐいの記憶は、よっぽど皆に需要があるらしい。
しかし彼女が口元に弱弱しいながらも小さく笑みを浮かべるのを見て、僕の心は満たされる。
彼女に、記憶のレンタルサービスを教えたのは僕だ。
僕が、その会社に勤めているから。
そしてそんなサービスには、今とても人気が出てきているから。
傷ついた心を、癒してくれると。
2010年代の大昔から流行っているVRなんかの「仮想現実」と違うのは、それが「仮想の過去」を体験させるものだということ。
うちの会社の上司いわく、それにはとても大きな意義があるらしい。
なぜならば。
過去の積み重ねや体験によって、人の自己評価や自己肯定感は形作られる。
そしてそれがいつしか、アイデンティティーと呼ばれる結晶へと変わってゆく。
だから僕たちは、「良い過去」を客たちに貸し出すのだ。
日々の生活で傷ついた、彼らのアイデンティティーを癒し、修復するために。
……そしてきっとそれは、彼女にも効果があるはず。
そう思いながら僕は、彼女を慈しむように見やる。
出会ったころに彼女が繰り返していた自傷行為も、やがてなくなってくれるといい。
いつのまにか、彼女はタバコに火をつけていた。
白い煙が、狭いアパートの空気の中にゆらゆらと揺れていた。
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