理想の記憶

5/7
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「そうそう、君も通達で知ってると思うけど、今週から新しいサービスが始まってるから。お客様に正しくご案内できるように、ぜひ君も使ってみなさい。これは命令だ」 「は、はあ……」  命令だって。社割がきくったって、タダじゃないんだぞ。 「それって……例のサブスクのサービスことですよね」 「そう。前々からお客様のご要望が多かったのが、ようやく技術的に可能になったんだよ」 「つまり……これまでレンタル期限が来たら記憶は自動的に消滅していたけど、これから月額制で無期限に見れる、って理解でいいんですよね……」 「そのとおり。しっかり通達を読んでるじゃないか、感心感心。じゃ、今日もがんばりたまえよ」  そう言って立ち去る秋野の、やけに真っすぐ伸びた背筋を、僕は伏し目がちに小さく睨む。  そうしてから、僕は仕事の端末の電源を入れた。               ーーー  彼女は最近、やけに幸せそうだ。  相変わらず一日中、部屋に閉じこもったままのようだし、細すぎる身体も一向に病的なシルエットを保ったままだけれど。  彼女は壁によりかかったまま、微笑んだ顔を宙に向け目を閉じている。  そんな顔を見て、僕も幸せに包まれる。  彼女は元々いわゆるバンギャというのか、あるV系バンドの大ファンだった。  それにまつわる「記憶」でもレンタルしているのかな、と僕は思う。  実際、彼女の金髪も、黒づくめの服も、そんなバンド好きのイメージに良く似合う。  小刻みに揺れる彼女の頭を見るに、ライブに行った記憶でも見ているのだろうか。  あるいはバンドのメンバー自身だった記憶かもしれない。 「ねえ」僕は思わず、彼女に話しかける。  すると彼女ははっと目を開け、真顔になって僕を見る。  唐突に現実に引き戻された、色素の薄い2つの大きな瞳がこちらに向く。  その時僕はその美しさよりも、そこにぽっかりと開いた空虚さの深淵に驚いたのだった。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!