双眼鏡と望遠鏡

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双眼鏡と望遠鏡

思いおこせば違和感しかない小学生時代だった。 私は協調性に欠けていたし、他の子供たちと考え方も行動も違っていた。 その結果、集中的にイジメられる事となった。 田舎だったので一学年一クラスという人数だった、そして上級生の数名は私をイジメることに生き甲斐すら見いだしているように思えた。 校門を出ると待ち伏せしていて「おい!泣けよ、泣き虫・・・」そう言ってずっとからかい続けてまとわりついた。いつまでも泣かないと、近くの田んぼのオタマジャクシが泳いでるところへ頭を押しつけられた。息をすれば水や泥水が容赦なく口へ入り込んだ。これが毎日続いた。 そうなると待ち伏せされて捕まった時点で涙が流れた。 「なぜ僕は毎日いじめられなきゃいけないんだろう」考えるだけで涙が出た。 上級生たちは「毎日こいつが泣くのを見ないと気分が良くないんだ」そう言ってやめようとはしなかった。 家へ帰ると母は「お前は情けないね」そういって嘆いた。  今あらためて思うと人にはタイプが有ると思う、同じ遠くを見る行動にしても、双眼鏡のように鳥などを見ている子もいれば、その横で望遠鏡で星を見ようとしている子もいると思う。それぞれに視点が違えば考えることも話す内容も違ってくる。「あの青い鳥は何ていう鳥かなあ」とみんなが話している中で私は「昼の月はクレーターが見えにくいなあ」そんなことを言っているのだ。 その違和感は不信感に変わりやがてイジメへと発展していく。  もし先生がそこを理解してくれていたらまだ良いのだが、先生は私を他の子供達と同じように私を変人扱いした。 今でも決して忘れることが出来ないのが、授業の中で「江戸時代の身分制度はどう思うか?」という質問だった。みんな「身分制度はいけないと思います」 そう口を揃えて言った。それに対して反対意見が欲しかった先生は、私に名指しで意見を求めた。そして「本当にお前が思っていることを言え!」半ば強制的に追い詰めてきた。 私は「もし自分が将軍だったら楽しいかもしれない」そう言った。もしそうならこんなにイジメられないのだ。 それからは先生と生徒一体となって私に反論し、「お前のような奴がいるから身分制度なんかが出来てしまうんだ」ほぼ全員が私を叩きのめす事で盛り上がった。  それ以来私は常に悪者で、みんなの批判にさらされる事となった。 先生もその構図を守っていれば、クラスはまとまると、それを続けた。 私はほぼ一人となった。  授業が終わると全員で掃除をすることになっていたが、私は掃除をする余裕はなかった、早くクラスから離れたかったし、待ち伏せしている奴らにも捕まりたくなかった。しかし掃除をしないで逃げ出す事が先生に知られてしまい、ひとりで掃除をさせられる事になった。 ひとりで掃除を終え、校門で待っている奴らに捕まり、田んぼに突き落とされた。親にも言われ家でもひたすら怒られた。  そんなある日盗難事件が起こった、そしてその犯人は当然私という事になった。全くの無実だ、しかし私が取ったところを見たと言うやつまで現れて私が犯人に決定した。その結果、親が弁償する事になった。  私は犯罪者のレッテルが貼られ、イジメていた奴らは正義の味方となった。 私は生きていることが嫌になって死ぬことを決意した。  帰り道に大きな水路があって夕方大量の水が流れてくることを知っていた。そしてその中程にコンクリートの丸い通路がある、そこに座って水が大量に流れてくるのを待った。  悲しかった、ただ悲しかった、私は体の血が全部出てしまうくらい泣いた。 遠くから水の音が聞こえ少しずつ大きくなった。私は嬉しかった、もうこれでイジメられることは無くなるんだ。水が足元から少しずつ増えてきた、もう少しだ・・・・  しかし、泣き声に気がついた近所のおじさんに助けられてしまった。 おかげで今もこうして生きている。  同じ日本人で、同じような顔をして、同じような所で暮らしていてもタイプの違う人がいる事をもっと理解して欲しいと思う。それが個性なんだと思う。  今も私は人間関係に苦労しながらも幸せに生きている。それは同じ望遠鏡を見て話せる人がそばにいてくれるからだ、私は私なりの幸せを見つけ、生きていてよかったと思っている。 田舎で満点の星空を眺めながら。
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