チョコを作る約束

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チョコを作る約束

『複数店舗の店頭に毒の入ったチョコレートが置かれていた事件について、警察の――』  テレビから朝のニュースが聞こえる。 「あらー、毒入りチョコだって。怖くて買えないわねぇ」  お母さんが食パンにマーガリンを塗りながら言った。  買ってくれたことないくせにバカみたい。私がチョコ買ってって言っても『お菓子なんか買うお金ない』って言うのに、弟がほしがったポテトチップスは買う。自分の好きなおせんべいも。私の食べたいお菓子だけ買うお金がない。ジャムだっていっぱい塗りたいけど、塗り過ぎだって怒られる。  真っ赤になった弟のパンを見ながら、薄く薄く塗ってピンクになったパンを食べた。  お母さんがどっかからもらってきた、おさがりのダサい服の上にジャンバーを着た。短くなった袖の中に手を入れて、学校まで俯いて歩く。ジャンバーもオシャレじゃない。縫うのを忘れてた靴下の穴を、足の指にはさんで隠してから上履きに履き替えた。  近くに誰もいなくてよかった。 「カナちゃんおはよう」  教室に入ると、今日もオシャレな服を着たユウコちゃんが私の席まで来た。ニコニコ笑って可愛いユウコちゃんはおしゃべりだ。 「ニュース見た? 毒入りチョコの。お父さんが心配して買っちゃダメって言ってさ、代わりにお店のチョコ買ってくれるんだって。チョコボール好きなのに食べれないのー」 「ふーん。お店のチョコいいね」 「おいしいけど味が濃いのもあるし、チョコボールのほうが好き」  いいな。私なら喜んで食べる。今日の服、見たことない。また新しいの買ってもらったんだ。いいな。  自分の靴下に穴があいてることを思い出して、足の指を強く丸めた。  昼休み、ユウコちゃんが相談あるのって言うから、運動場に行かないで寒い廊下のすみにしゃがんだ。ユウコちゃんがコソコソ小さな声で話す。 「あのね、もうすぐバレンタインでしょ?」 「うん」 「……チョコ、あげようかな、って」 「え!?」  びっくりして声が大きくなった私に慌てて、ユウコちゃんが口に手を当てる。 「ごめん。あげるのって、タイキ君? 告白するの?」 「……うん。卒業するし、中学校行ったらクラス離れちゃうと思うし」  ほっぺたを赤くしたユウコちゃんはとても可愛い。ユウコちゃんを好きな男子はいっぱいいる。もしかしたらタイキ君も好きなのかもしれない。2人で話してるし。足が速くてサッカーが得意で明るくてモテるタイキ君と、可愛くてお金持ちでモテるユウコちゃんはお似合いに思えた。 「チョコ作ろうと思って。一緒に作らない?」 「……私はだれにもあげないから」 「お父さんにも?」 「うん」  友達があげるって言うから、私もあげたことあるけど、酔っ払ってテレビ見ながら『ああ』しか言わなかったし、次の日お母さんがボリボリ食べて『安いチョコっておいしくないわね』って笑ったっけ。お返しもなかった。自分で食べればよかったな、あのチョコ。 「じゃあ、手伝って。作ったことないから」 「私もないよ」 「お菓子の本買ってもらうから、本見て作ろ? ね、お願い」 「……うん」  すぐ買ってもらえていいな。  お菓子の本買ってもらったから家に来てって言われたから、ユウコちゃんちに遊びに行った。大きくてキレイな家のインターホンを鳴らすと優しい声がして、ユウコちゃんのお母さんが玄関をあけてくれた。  ユウコちゃんのお母さんは若くてキレイでいつもニコニコして、『いらっしゃい』って優しく話す。2階にあるユウコちゃんの部屋で、勉強机じゃない小さくてオシャレな机に買ったばっかりの本を広げた。 「初心者用だから簡単に作れるのばっかりなの」 「そうなんだ」 『簡単にできるのに本なんか買う必要ないでしょ』頭の中にお母さんの声が聞こえる。  部屋のドアがノックされて開き、ユウコちゃんのお母さんがお菓子とカルピスを机の上に置いた。一つ一つ袋に入った見たことないお菓子にドキドキする。ユウコちゃんが言ってたお店のお菓子? 「なに作るか決まったの?」 「もー、ママに関係ないでしょ」 「ふふ、パパが期待してたわよ」 「もー、早くあっちいってよ」 「はいはい」  私がこんなこと言うと『親に向かって』って怒られるから、聞いてるだけで緊張しちゃう。でもユウコちゃんちは、これが普通なんだ。  2人になったあと、お菓子に手を伸ばした。袋をあけたら甘くておいしそうな匂いがして、食べたらもっとおいしかった。ユウコちゃんちで出してくれるお菓子がいつも楽しみ。初めて食べたとき、夢中になって食べちゃって『お腹空いてたの?』って心配されて恥ずかしかった。それからは、お菓子を買ってもらえないのバレないように、気を付けて少しずつ食べてる。 「おいしい?」 「うん」 「よかった。おばあちゃんが、私が好きだからって送ってくれるんだけど、いつも同じだからちょっと飽きたんだよね。ぜんぶ食べていいから」 「……うん、ありがと」  そのあと本を見ながら相談して、溶かしたチョコをカップに入れて固めるだけのお菓子を作ることにした。可愛いトッピングするんだーってユウコちゃんは張り切ってる。  バレンタイン前の土曜にユウコちゃんちで作る約束をしたあと、にユウコちゃんとユウコちゃんのお母さんが、チョコの材料を買いに行った話を聞いた。 「かわいいトッピングがいっぱいあって、迷ったからたくさん買っちゃった。余ったら食べようね」 「うん」 「クマの可愛いチョコもあったんだけど、トッピングに使わないから買ってもらえなかったの。ケチだよね」 「……トッピングどんなの買ったの?」 「えっとねー、ハート形の――」  色んなトッピング買ってもらえていいな。 『そんなもの必要ないでしょ』またお母さんの声が聞こえた。ケチって、うちのお母さんみたいな人のことだよ。  学校が終わってまっすぐ家に帰る。団地の狭い階段をのぼってドアの鍵をあけたら、お母さんがテレビの前に座っておせんべいを食べてる、いつもの光景が見えた。 「ただいま」  お母さんはテレビを見たまま『おかえり』と言った。  弟と同じ部屋だから二段ベッドの上だけが私の場所。寝転んで思い出す。ユウコちゃんの新しいオシャレな服、好きなお菓子、自分の部屋、お菓子の本、使いきれないトッピング。私のダサいおさがりの服、穴を自分で縫った靴下、弟と一緒の部屋、買ってもらえないお菓子、少ししか使えないジャム。  うらやましくて、うらやましくて、少し涙が出た。  晩ご飯のあと宿題をしてる私のうしろで、弟がゲームを始めた。音がうるさくてイライラする。 「うるさい。静かにして」 「うるせー! ブース!」  弟がわざとゲームの音量をあげたから、すごく腹が立って怒鳴った。 「宿題してんだから静かにしてって言ってんの!」 「バーカ」 「るっせえっ!」  酔っ払ったお父さんの怒鳴り声でふすまがビリビリ震えた気がした。これ以上怒らせて叩かれないように、弟はブツブツ言いながらゲームの音を小さくして、私は口をつぐんだ。  昼休みに運動場で遊んだら転んで、血は出なかったけどジャージのヒザに穴があいた。穴のあいたジャージをはいてるのが恥ずかしくて、転んで穴があいたって思われたくて、走って家に帰った。 「お母さん、ジャージに穴あいたから新しいの買って」 「なんで穴なんて開けんの。そんなにそんなに買えるわけないでしょ」  やっぱり買ってもらえない。また自分で穴を縫うんだって思うと悲しくなった。  シャワーのあと、洗濯カゴにジャージを入れてから布団に入った。目をつむるとユウコちゃんのキレイな服が頭に浮かんだ。  朝、着替えようとしたら物干しに服が掛かってなくて、着る服がなかった。洗濯かごを見たら、また洗濯物がたまってる。 「お母さん、着る服ない」 「うるさいね、っとに。ほら」  このまえ穴があいたジャージを渡された。ヒザを見たらダサい変なワッペンが貼ってある。 「これ……」 「は!? 直してあげたのに、なんか文句あるわけ!?」  私は口をつぐむ。すごく嫌だけど、そのジャージしか着る服がないから、それを着て学校に行った。ワッペンを見られたくなくて、なるべく席に座ったまま過ごした。昼休みになって、ユウコちゃんが廊下に行こうって言うから仕方なく立つ。誰も見ませんように。  教室のドアまでいったら、ちょうどタイキ君が入ってきて、私を見て笑った。 「なにそのヒザ。おまえってビンボーくせーよな」  タイキ君の大きい声が教室中に聞こえた気がした。  動けない私をムシして、運動場いこーぜ、って友達と騒ぎながら教室を出て行った。私は泣きそうなのを我慢して、ユウコちゃんと廊下に行く。 「大丈夫?」 「……うん」 「気にしないほうがいいよ」 「うん」  私はおさがりのジャージについた変なワッペンを見ないように、外をじっと見た。 「それでね、明日のチョコ作りなんだけど――」  ユウコちゃんは明日の話をする。自分のことばっかり喋るユウコちゃんでよかったと思った。私の話はしたくないから。
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