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『いや……、それ、もしかして非売品?』
一瞬躊躇を匂わせたものの、やがて前崎くんはわたしに渡したばかりのシャーペンを指差した。
『ああ、これ?そうだよ。春休みに会った知り合いの人からもらったの』
わたしはシャーペンをクルクル指先で弄びながら椅子に腰をおろした。
それは、とある映画配給会社が関係者に配布した非売品だったのだ。
両親の知り合いが広告関係の仕事をしていて、その繋がりで手に入れたものを、たまたま会ったわたしにお土産代わりにくれたのである。
この映画にも限定品にも興味がなかったわたしには、どこにでもある変哲のない文房具のひとつでしかなかったけれど。
でもどうやら、前崎くんにはそうではなかったらしい。
『へえ……いいな』
ぽつりと、うっすらと羨望を滲ませてくる前崎くん。
………前崎くんって、こんなこと言うタイプだっただろうか?
意外な反応に、わたしは思わずじっと見つめ返してしまった。
そしてその眼差しに気付いた前崎くんは、『あ……ごめん』やや恥ずかしげにわたしのシャーペンから目を逸らした。
『好きなの?この映画』
視線を外されたことになぜだかチクリとした痛みを感じ、わたしは慌てて会話をつないだ。
前崎くんは教材を机の中にしまいかけていたその手をピタリと止める。
『もしかして長堀も?』
嬉しさが込み上げたような、顔じゅういっぱいの笑顔で名前を呼ばれて、わたしはドキリとした。
今まで意識したこともないただの隣の席の男の子に、胸が弾んだ最初の瞬間だった。
余談だけど、わたしは、彼のこの『長堀』という呼び方が好きだった。
今はもう呼ばれることもないわたしの旧姓だけど、なんというか、彼の呼び方は他の人のそれよりもやわらかく聞こえて、呼ばれるたびに、わたしは耳から小さな幸せをもらっていた。
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