◇1st-ITEM/名刺

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自称勇者が俺を見て不審な表情を見せる。 「誰?お前」 「人を捕まえて『お前』は失礼だと言ったであろう?」 PCを適切にシャットダウンさせてからそれを閉じる。蓄電器から電源プラグを抜くと、ケーブル類を束ね傍に置いてあったオリコンに収めた。 「で、何用だ?」 「なぁ、ここにいた魔王、知らねぇか?」 魔王?いや、目の前にいますけど?…あぁそうか。マントを脱ぎ捨てて作業着だからわからないのか。 琉球畳の上から手を伸ばし、後ろに放ったマントを取るとそれを羽織った。 「私だが?」 「…えっ?」 自称勇者はえらく驚いた表情で俺を見た。そりゃそうだろう。魔王と呼ばれる存在が偉そうに玉座にふんぞり返っている訳でもなくて、隅っこの卓袱台でリモートワークですから。 マントを羽織ったまま立ち上がると、琉球畳の側に脱いであったスニーカーを履く。しゃがんで俺の仕事を待っていた自称勇者を見下ろす形となった。 「中身は魔王っぽくないんだな…」 お前、失礼極まりないな。 「それで?私に何用だ?」 「あー、あのさ」 少し困ったように彼は俺を見上げた。 「あのさ、さっき言っていた『メイシ』って…何?」 あ、そこからですか。 「…靴を脱いてそこに座るが良い。もてなしてやろう」 「あぁ、ありがとう」 その辺はやはり自称勇者なのだと思う。素直に靴を脱ぎ、戸惑いつつも琉球畳に座り込んだ。俺は俺で暑苦しいマントを再度脱ぎ、蓄電器に繋がれたポータブル保冷庫から冷水筒を、オリコンからアクリルカップを2つ出す。カップに冷水筒の麦茶を注ぎ、1つを自称勇者の前に出してあげた。 「これは何の飲み物だ?」 「麦茶。冷たいのが美味しい」 マントを脱いだので、もう魔王時間外だ。 「ムギチャ?」 「そう。麦茶。夏になると俺は水の代わりにたくさん飲む」 ついでに小分けされたクッキーを差し出しておいた。 「それで、名刺の件だったな」 「あぁ。お前が言っていた『メイシ』が何なのかわからないんだ。誰に聞いても『魔王に差し出すメイシ』なんか知らないと言うんだ」 「それをわざわざ本人に尋ねに戻って来たのか?」 「そう」 「…素直と言うか何なのか。まぁだから『勇者』の枠なんだな」 「?」 麦茶を飲みながら、目の前で教えを請う自称勇者を観察する。歳としては20歳前後くらいか。少し長めの明るい茶髪。誰が見ても素直で熱血な青年。何の因果で『勇者』をやっているのは知らないが、悪い奴ではない事は伝わる。 作業着の胸ポケットから小さなスチールケースを取り出した。ぱかっと開けるとそこから1枚の紙片を取り出す。少し厚手のその紙には、小さな文字がたくさん記載されている。それを自称勇者に向けて差し出した。 「これが名刺。お互いに交換してお互いを知る為のアイテムだ。こっちの世界にはこれ、ないのか?」 自称勇者は俺が差し出した名刺を手に取ると、物凄く真剣にそれを眺める。 「変わった文字だな。これ、何て書いてあるんだ?」 「んん?」 そうか。この世界では日本語が通用しないのか。音としては何故か日本語が通用しているのに、文字としては日本語が通用しない。 「あぁ、これか?この4文字で『カミ、シロ、アツ、シ』って読むんだ。俺の名前」 1番大きな文字を指さし、読みを伝える。役職やらホームセンターの住所電話番号なんて、今はどうでも良い。 「とにかく、このくらいの紙に自分の名前とか簡単な自己紹介を書いたのを『名刺』って言うんだ。仕事の時に交換して相手を知っておけば、スムーズに事が進むだろ?」 「成程!えっと、カミシロ?これ、貰っていいかい?これを参考に作ってくるよ」 にぱっと笑ったその笑顔はきっと実年齢よりも幼い。 「どうぞ。今度…えっと名前何?」 「俺?俺、クラージュって言うんだ」 「そうか。出来上がったらクラージュのを俺が貰えば良いな。そうしたら改めて、『魔王』と『勇者』の仕事が出来るようになる」 「わかった。作って来るよ」 クラージュは俺の名刺を大事に仕舞うと、クッキーを食べ麦茶を飲み干してから帰って行った。 ────────────── 後日の事だ。観音開きの扉をこれまた派手に開け放ち現れたのはクラージュだった。その表情は楽しそうと言うか嬉しそうと言うか、まぁ所謂『ドヤ顔』。 玉座を利用してストレッチをしていた俺を見付けると、まるで飼い主を見付けたわんこよろしく近付いて来た。 「カミシロ!」 「何用だ?」 とりあえずマントを羽織っていたし、今はまだ魔王時間内故に魔王モードで応える。 クラージュはにこにこと笑いながら俺に近付き、紙片を1枚俺に突き付けた。その小さな紙片は不思議な触感ではあった。厚口上質紙とも画用紙とも違う、現代日本では触れる事すら叶わないであろう触感。そこにお世辞にも読めそうにない文字っぽいものが記されていた。 「…クラージュ、これ名刺か?」 「そう。カミシロに言われて書いて来た」 待て待て待て。 「クラージュ、私はここの文字が読めないのだが?どれが貴様の名前に当たるのだ?」 「ここ」 クラージュの指が指し示したのは紙片の隅っこに記された小さな文字だった。さすが異世界。現代日本の常識が通用しない。 「クラージュ、名刺と言うものは自分の名前を覚えて貰う為のアイテムだ。こんな隅っこに小さく記しても、まるで意味をなさない。次は真ん中に大きめの文字で記すが良い」 それでもクラージュが一生懸命作って来てくれたのが嬉しくて、紙片を大切に自分のスチールケースに仕舞った。 ばさり、とマントを翻し、玉座が設置された場所から数段降りる。広々としたラストダンジョン、さぁやろうか。 ここから俺とクラージュの良くわからない戦いが始まる。 ──────────────── ◇1st-ITEM/名刺 2021/09/06
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