Dream of dreams

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 久しぶりの遠出にはしゃいで電車に飛び乗ったら、いきなりドアが閉まって、お母さんが乗り遅れたの。そのまま、電車はゆっくり動きだして…… 「それで、お前はどうしたんだ」  義高(よしたか)が相槌を打つ。カフェのロゴがプリントされた白いカップを揺らしながら。  小一時間ほど前に見た夢の話だった。 「どうって、仕方ないから座ったよ。目的地はお母さんの実家。聞いたことがある駅をいくつか通り過ぎて、そろそろ降りなきゃと思ったところで、駅員さんに連れられたおじいちゃんが探しにきてくれたんだ」  田舎町のローカル線は、都会のように車両の数も多くない。乗客もまばらな二両から私を探し出すのは、さほど苦ではなかっただろう。  そこで目は覚めたのだが、思い返してみれば、あれは幼い頃の記憶だ。  私にしてみれば、四歳にして一人旅をした武勇伝だったのだが、ホームに一人取り残された母にとっては悲劇である。靴が脱げるのも構わずに、走って電車を追いかけたと言っていた。さらに祖父に聞けば、車内で涙をこらえていた私は、顔が見えるなり、母がいないと大泣きしだしたのだそうで、それぞれの視点によってストーリーの様相は大分違っていた。 「俺はこんな夢を見た」  赤面しつつ、ストローを齧っていると、無言で耳を傾けていた義高が口を開いた。 「緑の匂いのする風を切って、ひたすら馬で駆け抜ける。誰も追いつけなくなった頃、丘に辿り着いた。見渡す先に土煙が上がっていた。………戦だ」 「戦?」  物騒な響きである。炭酸で浮遊したストローが傾いてあらぬ方向を向いたが、それよりも続きが気になった。 「義高は戦いに行ったの?」 「いや、ただの見物。汗水垂らして戦うのは性に合わない」  義高らしい答えだった。好き好んで危険を覗きにいく神経は私の理解を超えていたが、夢に意見したところでどうしようもない。  湯気の消えたコーヒーに興味を失ったのか、義高は三分の一から嵩の減らなくなった水面を一瞥するとスマートフォンをいじり始めた。  互いにバイトの入っている水曜の夕方はいつもこうして過ぎていく。  大学からすぐのカフェで暇を潰し、時間がくれば、どちらともなく席を立って伝票をレジへ持っていく。平生から無愛想な義高が、釣り銭を渡す店員に「どうも」と返すのは、機嫌のいい時だけと決まっていた。  十七時十三分。私が腕時計を確認するのと同時に、義高がボディバッグに身をくぐらせる。私を待つことなく出口へ向かう背中を追いながら、メイク道具やらペンケースやらが放り込まれている鞄を手探った。テキストの底に沈んだ財布が取り出しにくい。 「どうも」  私は百円玉を数えていた目を上げた。三歩先にいる義高の頬から顎のラインが心なし上向いている。カウンター越しの女性店員は、早くホールに戻りたいのか、応対も気がそぞろ。そんな彼女が直接の原因でないのは明白だった。  では、一体何が義高を上機嫌にさせているのか。  慌てて差し出した代金を断った右手がドアノブに掛かり、軽やかに鈴を鳴らす。夕暮れの街に紛れた義高の後ろ姿は、鼻歌でも奏でそうな空気を纏っていた。 「今朝のは愉快だった。負けるとわかった途端に泣きっ面になって、涙が溢れるのを必死に堪えたはいいが、代わりに鼻水が垂れる。ハンデをつけてやろうとしたら、敵の情けはいらないとか何とか、顔を真っ赤にして怒るんだよ。ガキが俺に敵うわけないのにな」  先週と同じテーブルに案内されたせいもあってか、自然切り出す話題も似たようなものになる。芸のなさを恥じた私に対し、意外にも義高は明るい声を返してきた。 「喧嘩?」 「喧嘩っちゃ喧嘩かな。たかが双六とはいえ、向こうにしたら真剣勝負さ。何度負けても挑んでくるから、俺もついつい相手をする。そのうちに、いい勝負になってきたから大変だ。あいつが勝つか俺が勝つか、応援していた周りの方が熱くなって、うるせえことうるせえこと」  義高の口角は、なだらかな傾斜を描いていた。その微笑みは単なる夢を語るには暖かすぎて、運ばれてきたオレンジジュースが私のオーダーだと申し出るのを遅れさせた。  義高は安っぽい香りのするブレンドを啜った後、満足げに息を吐いた。不味いと聞いたことはなかったが、初めてこの店を訪れた時の眉間の皺を思えば、どんな味がするかは想像がつく。代わり映えなどない筈なのに、今日に限ってうまそうなそれに、次は私も注文しようとぼんやり思う。  その翌週も、そのまた翌週も、水曜がくる度に私は夢の話をせがんだ。  義高の饒舌さは日を追う毎に増し、話が尽きる気配など微塵もない。私なんか十日に一度くらいしか夢を見ないのに。  笑ったり怒ったり、表情豊かに紡がれる内容に一貫性があると気付いたのは、ごく最近だった。義高を取り巻く世界は歴史と分類される古い時代で、登場人物も粗方決まっている。夢と片付けるには、あまりに鮮やかな物語の数々だった。 「初めて二人きりになった。普段は守役が目を光らせてるが、その日は年越しの準備に忙しくてな、俺たち子供なんぞにかまっちゃいられない。そうだな、あれは寿永ニ年、師走の終わりだ」  いよいよ凄みを増した義高は、呆気に取られる私を置き去りに幻想の中をたゆたっている。一度医者にかかってみてはどうかと提案したくなったが、店を出れば冷静さを取り戻すのだから始末が悪い。コーヒースプーンが生み出す褐色の渦に、こちらが飲まれてしまいそうだった。 「じゅえー…」 「何が楽しいんだか、いつも俺の後ろをちょろちょろして、あれをしようこれをしようって騒いでるくせに、いざ二人だけになったら緊張して縮こまってんのがおかしくて」  ブラック派の義高にはめずらしく、カップには一匙分の砂糖が入っている。なるほど。人生を豊かにする病ならば、他人が口を出す必要はないというわけだ。 「友達がいのない」 「友達?俺が、あいつの?」  友人でないと言う割に、義高の言動の隅々には好意としか言いようのない温もりがある。ジンジャーエールを飲み干して、私はちょっと皮肉に笑ってみせた。 「友達でしょ」 「どこが」 「毎日遊んであげて、年越しも一緒。それが楽しい思い出なんだとしたら、もう友達じゃない」  私の知っている義高は、嫌っている相手を想ってはにかむような男ではない。これだけ幸せを振りまいておきながら自覚がないとは、やはり病は病なのだ。  義高はトレイを手にした店員が二往復するだけの間、私を凝視したまま固まっていた。出会ってから一年と少し、彼は時々こんな反応をする。気に障る発言をしてしまったかと思いきや、不快なわけではないらしい。 「……そう思うか?」 「うん」  掠れた語尾に、私は間髪入れずに頷いた。無理強いではない。明確な後押しを必要としているだけなのだ。 「…………そうか、そうだな」  また一匙、シュガーポットから砂糖が減った。  一頻り余韻を反芻した義高は眩い生命の輝きを讃えている。あまり人付き合いを好まない彼が、夢の中だけとはいえ、友というものを認めた証だった。些か腑抜けてはいても、一人ぼっちでいるよりずっといい。  すっかり空になったカップを見とめた店員がかわりを注ぎにやって来る。こんな日もあるんだなと考えるうち、時計の針はどんどん進んで、義高も私も、駆け足でバイト先に行く羽目になった。  来週も彼はあんな表情を見せるだろうか。タイムカードを押しながら、ほんのりと温まる胸を押さえると、バイト仲間から「具合でも悪いのか」と見当違いな心配をいただいた。そうではないと首を振り、私は次の水曜に思いを馳せた。
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