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太陽はすでに天高く昇っているというのに、その食堂はいつでも薄暗かった。細い路地の合間にひっそりと佇む、この界隈でただ一つの食堂だ。ひと度ドアをくぐれば、そこに集う人々の活気で圧倒される。笑いあう客たちの声や、受けた注文を厨房へと通す店員の声、中身を一気に飲み干されたジョッキが机を叩く音。さほど広くもない店内に音が充満する。薄暗い店内を明るく照らすのは、客たちの満足気な顔だ。
喧騒の中を配膳などで動き回る店員は、それでも、新たな客の到来を告げるドアベルの音は聞き逃さない。それは店主の絶対の教えでもある。ちりん、と喧騒に飲まれそうな音が空気を震わせれば、その店員の一人、アウルはそちらへと視線を向けた。
「いらっしゃい」
客の顔を認識した瞬間、頰が綻ぶのを抑えきれず、どうにも気恥ずかしい。それでも、アウルはドアの前に佇む一人の騎士から視線をそらせずにいた。
新たな客として現れた騎士に気づいたのは、アウルだけではなかった。他の客たちからも騎士に向かって声が飛んでいく。
「今日の務めは終いか? だったら一杯付き合え」
「暇なときにうちの息子の相手してやってくれ。お前みたいな騎士になるって言ってきかないんだ」
「店員さん、あの子に一杯持っていってくれや。私のおごりで」
好意的な言葉を和やかに受け止めながら、騎士は空いてる席へと腰を下ろす。それを見計らってアウルはエールを騎士のテーブルへと届けた。戸惑いの表情を向ける騎士に他のテーブルの婦人からだと伝えれば、申し訳なさそうに眉を僅かに下げる。婦人へと少しばかり頭を下げる騎士に、婦人はまんざらでもなさそうだ。そうして騎士は温いエールに口をつけた。
決して、この食堂は騎士が来るような場所ではない。食堂とは謳っているものの、大衆居酒屋のようなものだ。国に忠誠を誓い、民たちから羨望の眼差しを受ける騎士たちは、もっと上流階級の貴族や富豪たちが行くようなサロンやカフェなどに行くものなのだ。
それでも、この騎士は足繁くこの食堂へと通う。以前、アウルはその理由を尋ねたことがある。落ち着く場所だからだと、騎士はそう答えたのだった。
直接本人から聞いたわけではないが、アウルは騎士の生まれが貧民であることを知っていた。喧騒に塗れ、薄暗いこの食堂を「落ち着く」と言った騎士の言葉にどことなく納得がいく。
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