暁光の王と黄昏の刻

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 さも当然というように、アウルは泥や汗で汚れた麻の服を脱ぎ、そのバスタブに浸かる。朝から従事していた芋の皮むきや食器洗いで冷えた指先がじんと和らいでいくのにアウルは思わず目を細めた。だが、のんびりしている余裕はない。湯の中に沈み込み、髪についた煤や顔に付着した汚れを落とす。煤の落ちた髪は金糸のような輝きを取り戻し、血色のいい頬は仄かに薔薇色だ。全身を備え付けの柔らかなブラシで撫でて、小型のブラシで爪の間に入った泥を入念に落としてゆく。それらを終えた頃には湯の色は濁りきっていた。  バスタブから出て、柔らかなタオルで体を拭く。淡い色合いのタオルが流しきれなかった汚れで薄黒く染まるが、そんなことはお構いなしに全身を拭い、テーブルに用意された着替えへと手を伸ばした。麻の服とは違う、さらりとした柔らかな手触りの絹の服だ。絹のブラウスの襟元と裾には金刺繍が施され、着る者の威厳を引き立てる。そのブラウスに袖を通しながら、アウルは騎士の纏うマントへと思いを馳せた。  騎士のマントは総じて国色である赤色だ。無論赤色にも様々あり、王族にのみ許される鮮やかな朱色から一般層まで普及しているくすんだ赤銅色まで多種多様だ。騎士が身につける甲冑やその類は国から支給される。だが、支給はされるものの、金と自己顕示欲の併せ持つ貴族の出の者の多い職故か、自分なりに装飾を加える者が多くいるのが現状だ。殆どの騎士たちは自分が懇意にしている職人に頼んで、マントに金糸で刺繍を施す。ほとんどの騎士のマントには必ずといっていいほど煌びやかな刺繍が踊っている。だが、かの騎士のマントにはそれがない。支給されたままの赤一色が彼の背で揺れるだけだ。  あぁ、と嘆いた言葉が知れず零れた。  この国では、生まれを気にするものが多すぎる。  自分の身の回りにいる人間の顔を次々と思い浮かべて、奥歯を噛み締めた。衣服を纏ったその背に、鮮やかな朱色のマントを羽織る。上へと続く石階段には柔らかな赤い絨毯がひかれ、それを踏みしめて、この若き王族は今までいた世界にしばしの別れを告げる。突き当たりの石壁に触れれば、それは石壁とは思えないほどの軽さで開かれた。開かれた石壁の先で、決して豪奢すぎない衣服をきっちりと着込んだ男が、頭を垂れてこの国の王子を出迎えた。 「おかえりなさいませ、ルクス王子」
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