暁光の王と黄昏の刻

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 男は垂れた頭を戻して、安堵したように涼しげな目元を緩ませる。男の名はテオラメント。王子の側近であり、王城に住まう者でただ一人、王子の密かな脱走を知る者である。  王子専用の執務机の椅子を引いて視線を促せば、アウルもといルクスは抗うことなくその椅子に腰を下ろした。  ルクスの眼前には王子直筆のサインを待つ書類の山が連なっている。背後にいるテオラメントに柔らかなタオルで髪を拭われながら、ルクスはペンを取るとその山を即座に崩しにかかった。秘密裏に城の外へと出かけている手前、王族としての執務にあてられる時間が削られるのは当然といえた。それでも抜かりなく両立させると覚悟を決めて始めたことだ。不満など口に出せるわけがなかった。 「本日はいかがでしたか?」  一通り水気を拭い終えた髪をブラシで梳きながらテオラメントが問えば、ルクスは難しい表情を浮かべる。ペンを走らせる速度を緩めずに口を開いた。 「野菜の質が落ちているのに、価格は上がり続けている。収穫量が減っているんだ。このままでは貧民のみならず、平民すら今年の冬を越すのは難しいだろうな。他国からの輸入量を増やすことも視野に入れるべきだ。できれば、いくつか候補をあげてほしいのだが――」  頼めるだろうか、と続くはずの言葉は頭上から降る密やかな笑い声によって音にならなかった。訝しんだルクスは手を止めて、頭上へと首を仰けそらす。笑いをこらえたテオラメントの顔がそこにあった。 「いや、そうではなく」  テオラメントの目が愉快そうに弧を描く。 「かの騎士様のことですよ」  その言葉にルクスはテオラメントから顔をそらす。 「あぁ、なんだ、そのことか」  明らかに面白がっている空気が頭上から降る中、ルクスは羞恥で火照った顔をなんとかしようと必死であった。気を鎮めようと再びペンを走らせて書かれたサインはどこかぎこちない。  誰よりも信頼できる側近だからこそ、ルクスはテオラメントに隠し事をすることはない。自分よりも広い世界を知り、知識もあるテオラメントはルクスにとって良き相談相手であった。なにより、生まれたときからの付き合いだ。互いのことは実によくわかる。 「おや、会えませんでしたか?」 「いや、会えたは、会えたんだが……」  もごもごと歯切れの悪い物言いに何かを察したテオラメントは、呆れた素振りで口を開いた。
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