溺れ咲き

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「じゃあ、また来てくれよ桜井」 「ああ、会えて楽しかった。なかなか同窓会にもいけないからな。お前も誘ってくれないし」 「そりゃそうだよ。お前が来たら女は皆お前に夢中じゃないか。弁護士の肩書きも霞んでしまうから、お前、後数年は来てくれるなよ」 「酷い友人だよ、お前は。…それはそうと、あの人は」」 そう、声が聞こえる。 どきり、とした。顔を上げると、大沢と男がこちらを向いている。大沢が俺の名前を呼んだ。 「神原さん、ちょっと」 「ああ、なにか」 「いいから、ちょっと来てください。僕の友人の桜井です。桜井、こちらは神原さんだ。腕はいいが、欲がない人でね。あんまり大きな仕事は好まないんだ」 「へえ。初めまして、桜井です。…よろしく」 そう言って、男は手を伸ばした。俺は渋々、よろしく。と握手した。 目と目が合う。ああ、俺とこいつはきっと同じ趣味をしている。 同類は匂いで解る。いくら隠したって、匂いは絶対に隠せない。 こいつに近づかないようにしよう、そう思った時だった。 握手をした、手。男の親指の爪が俺の掌をカリッと引っ掻いた。 ぞわ、とくる。 これは気のあるホステスや、仲居によくやる隠語のような合図なのだ。気のある事を示す、サインだ。思わず眉をしかめると、桜井は笑った。いい笑顔だった。 「そういう人が、いいね。欲がない人が俺は好きだ。おい大沢。彼を俺にくれよ」 「くれってお前ね、この人は企業向きじゃないよ。ねえ、神原さん」 「あ…ああ。ちょっと不向きでしてね。すみません」 「いや、企業向きではなくていい。そういうのは他でも十分いる。正直に言うと、今度離婚するんですよ」 「離婚」 「まあ、お恥ずかしい話ですが。相手は金にがめつい女でね。どうです、それなら断る理由がないでしょう」 なかった。 俺は渋々と頷いた。断る理由がないでしょう、と奴は言った。 それは、断れない理由を作りますよ、と言った言葉の裏返しだと思った。 それから俺は何度か桜井の家に行った。桜井がいうほど女は金にがめつい人間ではなく、青い顔で俺の話に耳を傾けていた。理由はよくある浮気だ。 だが、女はこう言った。 「あの人と、数回しかしていないんです…。だから寂しくて…」 「だからって不倫していいはずはないでしょう。幸い少しお金ももらえますから、多少は生活できるでしょう」 「でも!……でも…あの人、本当は私のことを愛してなかった気がするんです!ただ、結婚しないと世間体が悪いからしたような気がするんです…、それは、その、あの人を裏切った私が悪いんでしょうけど、愛なんて、なかった気がするんです…」 俺は黙って離婚届にサインをさせた。嗚呼、あの男の正体を俺はうっすら感じている。しかし、女に言うことはなかった。 離婚に彼女は同意しましたよ、と桜井に電話で報告すると、奴は、では食事でもしながら話をしましょう、と自分のホテルのレストランを提示してきた。俺は、嫌だったから断ろうとすると、奴は通話を切った。手馴れていてうんざりした。だが、俺はまだ大丈夫だと思っていた。大丈夫だ、ばれやしないさ。ただの酔狂なだけの奴だ、俺が同類だと解って、喜んでいるだけだろうが、俺は隠しとおすさ、と楽観していたのだ。
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