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「遠くへ行くなって言ったよな。帰れなくなるぞ」
明日香は立ち上がりながら、ズボンについた枯葉を手で払った。
「大丈夫大丈夫、迷わないようにさあ、ほらこれ」
腰に巻いたロープを持ち上げる。どや。
「頭いいでしょ」
得意げな顔。けれど、ロウは厳しい顔を崩さなかった。低い声で言う。
「それ、引っ張ってみろ」
「え?」
明日香が言われた通りロープを引っ張っていくと、スルスルと何の手応えもなく、手繰り寄せられていく。
「あ、あれ、あれ、あれあれれれ」
手繰り寄せた先は、先端が切れていた。
「あれれ?」
「あれれ、じゃねえ。こんなやわいロープ、木や岩に擦れて直ぐに切れちまうに決まってんだろ」
「うそお」
明日香が情けなく、くしゃりと顔を崩す。
その様子にロウは少しだけ焦って言った。
「場所の検討はついてたから良かったけどよ。あんま勝手に出歩くなよ。言えばどこだって連れてってやるから」
「うん、ごめんね」
「え、あ、ああ」
素直に謝る明日香を見て、ロウは驚きを隠せなかった。
(人間ってのは、こんなにもあっさりと敗北を認めるのか。そんなこと、本に書いてあったか?)
「獣人」の間では、謝った方が負けという風潮。
あの優しい気弱なユノでさえ、その口から謝罪の言葉を聞いたことがない。とにかく、自分が悪いと分かっていても、「獣人」は謝らないのだ。
(オレらと全然違うってわけか)
ごめんね、ともう一度言った明日香の顔は、シュンとしょげていてみすぼらしい。眉毛は情けなく下がっている。
見慣れない表情に、胸に少しの痛みがあった。
「もういい」
ロウは、腰に下げた袋からバナナを取り出すと、明日香へと差し出した。
すると、途端に表情を変え、「うわ、ロウ、ありがとうぅ‼︎ お腹すいて死にそうだったあ」
早速受け取ると、バナナの皮をむき、パクッと一口で半分を頬張った。
「おい、慌てて食うな。むせるぞ」
「んぐんぐ、むぐ、おいひ」
明るさを取り戻していくその顔を見る。ロウはここへ来る間に鬱積していた明日香への怒りが収まっていくのを感じた。
(不思議な生き物だ)
ロウは、腰からナイフを取ると、明日香の腰に巻かれたロープを切った。
「で、何か見つかったのか? ここ、おまえを拾った場所で間違いないぞ」
バナナの皮を申し訳なさそうにその辺に生えている小枝へとかけると、
「うん、だいたいの場所聞いてたから、来てみたんだけど……これ見つけた」
と言って、ズボンのポケットから出したのは、赤い色の丸い首飾り。
所々に銀色の飾りが付いていて、一つだけ菱形の金具がぶら下がっている。
「それ、おまえのか?」
「ううん、私のっていうか……」
ぶら下がった金具に何か書いてあるのを認めると、ロウはさらに訊いた。
「それ、なんて書いてあるんだ?」
「…………」
少しの間を置いて、明日香は大切そうにその名前を呟いた。
「コタロー」
そう呟いた明日香の慈愛がにじむ表情を見て、ロウは胸に不穏な空気が渦巻いてくるを感じていた。
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