もう泣かないと、あの時俺は思った

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 保は、更衣室のベンチに座り込んで緊張のあまり顔面蒼白になっている徳永の肩を、ぽんとたたいた。スタメン六人のうち、徳永だけが後輩だ。緊張するのも無理はない。  徳永が泣きそうな顔を上げる。保は笑顔を意識して声をかけた。 「なーに緊張してんだよ」  徳永は、今度は驚いたような表情になってじっと保を見上げた。保は、頭に手をやって苦笑いをする。 「ま、俺はあいつみたいなムードメーカーにはなれそうもないけど、今日は楽しくやろうぜ」  いつもだったら、こういった役割はもっぱら健介が担っていた。意図せずにチームの緊張をほぐすのだから、全く健介はすごいやつだ。保は健介の足元にも及ばないが、やれるだけのことはやってみる。 「はい。楽しみます」  ぎこちないがようやく笑顔を見せた徳永の肩を、保はもう一度たたいた。  安田先生の先導で更衣室から出て廊下を歩き、アリーナへの扉を抜ける直前、保は無意識に真横に顔を向けた。いつもこの瞬間、健介と顔を見合わせていた名残だ。 ――あっ、健介じゃなかった。  そう思ったが、徳永の強い視線が保を射抜いた。さっきまで泣きそうにしていた徳永とは全く別人の、エーススパイカーの顔だった。保も気持ちが引き締まる。  所定の位置に水筒やタオルを置く。そしてスタメン六人は円陣を組んだ。手の甲を重ね合わせて掛け声をかける。顔を上げて徳永と視線をぶつからせた。徳永とはもうずっと前からの相棒である気がした。 ――よし、いい調子だ。今日は勝てる。  根拠のない自信も立派な自信のうちだ。  エンドラインに一列に並んだ時、六人とも自然にアリーナの二階席を見上げていた。観客から離れたところに、制服姿でひとりぽつんといる健介。健介は六人の視線に気づくと、屈託のない笑顔で手を振った。  全く健介はすごいやつだ。誰よりも好きだったバレーボールをあきらめなければならなかったのに、今もなおムードメーカーでいられる存在。そんな健介に恥じないように、そして自分に誇れるプレイができるように。六人全てがそう思っていた。  相手校にお辞儀をして、それぞれの持ち場に散る。九メートルかける九メートルの陣地。それが今日はやけに狭く思えた。 ――チームメイトを信頼しているから、たったこれだけの面積なんだ。  相手校のサーブで試合が始まる。後衛の完璧なレシーブを受けた保は、オーバーハンドでエーススパイカーの徳永に向かってトスを上げた。  そのボールはいつか見た満月のようだった。 <了>
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