もう泣かないと、あの時俺は思った

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 セットカウント二対二。だが相手校に疲れが見えるので、こちらに十分勝機はある。このまま一気に畳み込めば勝てるはず――。  地区大会準決勝。この試合を決めれば、決勝戦にコマを進めることができる。  坂井(たもつ)はエーススパイカーの鈴木健介(けんすけ)を横目で見やった。やや視線を落としてタオルで汗をぬぐう健介。百八十センチにあと数センチ満たない保は、健介の長身がうらやましかった。 ――俺があと四センチ高ければ……。  とはいえ保にはわかっていた。跳躍力、肩の力、そしてその時々に求められる的確な場所へ狙い撃ちできるセンスは、どれをとっても健介にかなわないことを。だが、監督である顧問の安田先生が保に込める別の期待というものもわかっているつもりだった。  保が担うセッターは、地味ながら非常に大きな役割を担う。チームの状態を常に把握しながら相手チームの動きも瞬時に読み取る。ゲーム全体に精通していなければならない役割だ。職人ともいえるポジションだと、安田先生は保に何度も言い聞かせた。  安田先生の期待も、健介と同等かそれ以上に背負っているつもりだ。だが、高校三年の保にとっては、やはり花形であるスパイカーでありたかった。特に、大学のスポーツ推薦がかかっている今日のような試合には。保と健介が目指す大学の監督が視察に来ている今日の試合で、ふたりの運命が決まる。  坂井保と鈴木健介。ふたりは同じ高校のバレーボール部のチームメイトでありながら、今日は敵同士だった。  円陣を組む。そして六人が手の甲を重ね合わせて掛け声をかける。保が顔を上げた時、健介と視線が合った。黒い感情をくすぶらせたままの自分を信用し切った瞳で見つめてくる健介に一瞬気持ちがひるんだが、保はすんでのところで立て直した。そうだ、今の自分の敵は健介ではなく相手校。この試合に勝たなければ推薦も何もない。  九メートルかける九メートルの陣地に六人が散らばる。それが果たして狭いのか広いのかはわからない。与えられた陣地を六人で必死に守るだけだ。  サーブは相手校。最初からガンガン打ってくるやつだが、奇をてらったところには打ってくることはない。事実、後衛の見事なレシーブを受け、保も健介に向かって完璧なトスを上げた。だが。  ドサッという音を立てて、健介が床に崩れた。それはもうスローモーションのように。  騒然とした体育館に、一瞬何が起こったかわからない保も我に返った。何やら叫び声を上げる安田先生に、健介に駆け寄るチームメイト。ざわめく相手校の面々。そしてチームメイトに囲まれながら静かに床に倒れている健介。その顔は蒼白で、生きているのかさえわからない状況だ。  保は、健介に駆け寄ろうとした。だが、いつの間にか傍にいたらしい安田先生に、肩をぐいと押し留められる。先生に促されてよく見たら、健介は救急隊員によって処置をされているところだった。  ほどなくしてつき添いの安田先生とともに健介は運ばれていった。
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