もう泣かないと、あの時俺は思った

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 神様も仏様もお地蔵様もご先祖様もやっぱりいたんだ。保は、安田先生の話を神妙な顔つきで聞きながらも、とりあえずほっとしていた。  翌日の朝練での話だ。  健介は命に別状はないもののしばらく入院が必要だが、きっと元気になって帰ってくる。安田先生は笑顔でそう言った。  だが保には、安田先生の笑顔の裏に隠れる微妙な表情でわかってしまった。セッターは常にチームの状態に気を配らなくてはならない職人であるべきだ。試合では相手校の心理さえも把握する優秀なセッターである保。  できれば鈍感でありたかった。健介の無事をチームメイトとともに喜びたかった。だが、先生でさえ、俺の眼はごまかせない――。  放課後の練習が退けたあと、保は職員室の安田先生を訪ねた。  安田先生は、保が来ることを予想していたかのように寂しい笑みを浮かべた。 「さすがキャプテン。保には隠し通せないな」 「俺の話はどうでもいいです。それよりも、健介のことを教えてください」 「まあまあ。ちょっと飲み物でも飲もうや」  安田先生はそう言うと、保を促して廊下へ出た。  廊下を先生に続いて歩いていく。時に鬼顧問の形相を見せる安田先生の背中が、保には妙に小さく見えた。  自動販売機は体育館の横にある。安田先生は保にはスポーツ飲料を、自らには缶コーヒーを買った。  練習が終わって真っ暗にしたばかりの体育館に再び入った。安田先生があかりをつける。ネットなどは片づけられて、そこにはがらんとした空間が広がっている。  安田先生は入り口からすぐのところに胡坐を組んで座った。保もカバンを置き、先生に倣う。 「そういや、保とサシ飲みなんて初めてだな」  ははっと安田先生が笑う。つられて保も小さく笑った。安田先生が缶を掲げてきたので、保はペットボトルをぎこちなくぶつけた。  こういう場には、いつも副キャプテンである健介もいた。だが今は安田先生とふたりきりだ。それが心細くもあり、誇らしい気もする。初めて抱く感情に、保は戸惑っていた。  安田先生がコーヒー缶のプルタブを開けたので、保もペットボトルのキャップを開けた。先生が缶を傾けたので、保もぐいと飲む。 「健介な、部活に戻ってくるの、ちょっと難しそうなんだ」 「……」 「詳しい検査はこれからだけど、どうやら心臓疾患らしい」 「えっ……」  どう返事をしていいか、もしくはするべきかわからない。大事なチームメイトを失う痛みと、ライバルがいなくなる喜び。 「保の気持ちも、俺にはわかるよ」  静かに言い聞かせるような安田先生の言葉に、保は顔を上げる。喜んではいけないと叱られるのではなく、そう思うのもまた正常な感情だと認めてくれている。保はそう直感した。 「俺は健介の立場だったけどな」  初めて聞く、安田先生の現役時代の話。先生も推薦入学で大学進学したプレイヤーだった。だが、入学直後に膝を故障した。夢に胸を膨らませて入学したのに、ほとんど実力を発揮できなかった安田先生。周りのチームメイト兼ライバルはどう思っただろう。 「まあ、俺のことはどうでもいいんだがな」 「……」  いろんな思いが交錯して、何も言えない保だった。 「で、俺は、プレイヤーとしてはポンコツだったけど、マネージャーになった。すると今度はいろんなものが見えてきて、教えてみたくなった」  はははっと笑ったあと、安田先生は言った。 「教えることの方が俺には合ってたんだな。今じゃ俺は名顧問だろ?」  思わず保もつられて笑ってしまう。確かに安田先生は恐ろしいが、いい顧問だ。  打って変わって、安田先生は真面目な顔つきになった。 「健介も真面目にやってたからさ、きっとあいつなりの道を見つけるよ。……それがバレー関連であってもそうじゃなくてもな」  健介がバレーボールを辞めるかもしれない……。入学以来、ずっと一緒にプレイしてきた親友なのに。どんなにつらい時も、健介がいたから保は頑張れた。……親友だがライバルでもある健介にだけは、絶対に負けたくなかったから。 「だから、保も自分の気持ちに正直になったらいいんだ」 「……俺は、健介のことを心配する以上に、推薦を勝ち取りたいです」  うつむいて肩を震わせたまま、思っていることをさらけ出す。親友の不幸を踏み台にしてまで高いところに立とうとする醜い自分を自覚したまま、保は本心を口にした。  背中に温かいものが触れる。バレーボール経験者だとすぐにわかる、安田先生の分厚い掌。 「なら、明日からもビシバシしごくが、それでいいな?」  背中を通して感じる安田先生の優しさと厳しさに、保は覚悟を決める。  顔を上げてしっかりと安田先生の瞳を見つめた。 「はい。明日からもよろしくお願いします」  返事の代わりに、背中が二回ほど強くたたかれた。
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