もう泣かないと、あの時俺は思った

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 夕暮れ時の通学路を健介とともにゆっくり歩く。  さっきの追い出し会の時、健介はチームメイトに囲まれていて、ろくに話をすることができなかった。健介が入院中に体験したシモの悩みをおもしろおかしく話すのを、保は安田先生が買ってきたものを飲み食いしながら一緒に聞いていた。安田先生まで一緒になって、健介のシモネタを笑っていたほどだ。  そして追い出し会がお開きになり、ようやく保は健介をひとり占めできたというわけだ。  保は紙袋いっぱいに詰め込まれた荷物を持っている。まだ重いものを持つことができない健介の私物だ。どこをどう間違ったらこのような大荷物になるのか、ロッカーを常にきれいにしている保には理解不能だったが、健介は私物をため込んでいた。  もとは車通勤である安田先生が私物とともに健介を自宅まで送り届ける算段だった。だが保はキャプテンである自分が責任を持って送り届けるからと、荷物持ちを引き受けた。いや、そんなことは口実で、保は定期の範囲外の運賃を払ってでも健介との時間を過ごしたかった。保の気持ちを理解した安田先生は、財布から千円札を取り出してそっと手に握らせた。ちくしょう、どこまで名顧問なんだ安田っちは。 「ごめんな、保っちゃん。重いよな」  駅へと歩きながら、健介がぽつりとつぶやいた。さっきは自分のことを他人行儀にキャプテンと呼んでいた健介は、今はいつもの呼び名で呼んでいる。 「ああ……。重いな。それに、何だか汚い」  紙袋をのぞいてみると、シューズのほか、置き勉している教科書や虫よけスプレー、いつからロッカーにあるのかさえ不明な靴下やタオルまで入っている。 「俺、ずぼらだからさあ」  へらっと笑った健介につられて、保も笑った。こうしていると、健介の病気を忘れそうになる。  駅に到着した。地下鉄と私鉄の乗換駅だ。いつもは健介とはここで別れ、保は地下鉄で、健介は私鉄で帰宅する。だが今日は保も私鉄の改札に向かう。健介に待ってもらい、保はさっき安田先生からもらった千円札を使って切符を買った。連れ立って改札内に入る。 「俺、ここから一駅だから、大丈夫なのに」 「だめだって。キャプテンとして、きちんと送り届ける義務があるんだ」  保が眉をひそめてもっともらしく言うと、健介は屈託なく笑った。 「はーい。VIP待遇あざっす」 「調子に乗るな」  今度はふたりして笑った。  健介の最寄り駅までおよそ二分。改札を抜けて駅の構外に出ると、すでに太陽は沈んでいてあたりは暗かった。駅前のお好み焼き屋から漂ういい匂いに食指が動く。ここから健介の自宅までは徒歩五分だという。  お好み焼き屋から信号を渡って小さな公園を抜け、住宅街を歩く。別に今生の別れではないのに、何となく口数の少ないふたりだ。 「保っちゃん」  ふいに呼ばれた名前に、保は「うん」と答えた。 「俺、バレーが好きなうちに辞めるって言ったじゃん」 「うん」 「それってさ、ちゃんと決勝戦を観たくなったから」 「……」 「ちゃんと、バレーファンとして、母校の応援がしたかったから。っていうか、今日みんなに追い出してもらったから。だから、もう俺は正式なOBだろ?」  こらえ切れずに、涙があふれる。だがもう我慢するのはやめにした。健介がこんなに本心をさらけ出しているんだ。俺だってきちんと向き合わなきゃ。  ずずっと洟をすすって保は答えた。泣いていようが関係ない。 「うん。俺も、やっとトスを上げる相手が健介じゃなくても大丈夫って、心から思えるようになった。俺だって職人のプライドがあるんだって、やっとわかった」  今度は健介が洟をすする。 「その言葉聞いて、安心した。決勝戦が楽しみになってきた」 「おう。きっと勝つから」  手に提げていた紙袋がさっと取り上げられた。 「俺んち、すぐそこだから。じゃあな、ありがと」  お互いに妙なところで意地っ張りだ。ふたりして号泣する姿など見せ合うわけにはいかない。だから保も素直に紙袋の持ち手から手を離した。 「こっちこそ、ありがとな」  踵を返して、足早に私鉄の駅へ戻る。帰宅途中のサラリーマンにすれ違うが、視線を落として歩けば泣いているとは気づかれまい。  だが限界だった。保は駅前の公園に入り、ベンチに腰を下ろした。抑えることのできない涙を、制服のカッターシャツで拭う。  そのまま何分ほど泣き続けただろう。保が顔を上げると、夜空に月が浮かんでいた。バレーボールのように見事な満月だ。満月をボールに見立てて、保はオーバーハンドの要領で掌を掲げた。  涙とともに迷いはすっかり去っていた。今はとてもすがすがしい気分だ。健介がいなくても、俺はもう大丈夫。 ――決勝戦、大暴れしてやる。  保は立ち上がり、自らに誓いを立てた。
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