1.指輪物語

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1.指輪物語

 なんて、不思議な緑の目……。  カルラはその男から目が離せなかった。  今日、一番幸せな男の、目が笑っていない。  優しく微笑んでいるその目が、恐ろしいほど虚しい。 「不気味――、とかではない。あれはやっぱり、おそろしい――よね」  他に当てはまる表現が、思いつかない。 「どうなさいました、姫様? お疲れですか」  侍女の、シュリが顔をのぞき込んでくる。 「そりゃあ、疲れているわ。だって、これ、」  カルラは持っていた扇をパチンと畳んだ。 「茶番じゃない?」  席を立つ。 「どちらへ行かれるのです? お式の最中ですよ?」 「退屈で眠ってしまいそう。外の空気を吸ってくるわ」 「姫様!?」  それでも周りに配慮して、気分が悪くなったフリをして式場を抜け出した。  外の空気が吸いたいのは本当。  ああ、どうしよう?  シュリは当然、追ってくる。  待たずに、足を速めた。  胸が高鳴る。  興奮しているのが分かる。  外は、快晴。  まさに、結婚式日和だった――。 「こんな日に、あんな顏してるなんて……!」  庭園の東屋で、ほうと息をつく。  先ほどの、新郎が脳裏から離れない。  あの空虚な目、不思議な緑。  思い出してもゾクゾクする。 「姫様、もしかして、本当に具合が悪いのですか?」    そう見えるのなら都合がいい。  が、我慢できなかった。 「シュリ――、あのカイソク王を、調べて。  わたくし、あの男、気になる……!」 「姫様……」  シュリは、またなのかと、嘆息する。  心配をして損をした。  悪い病気が始まっただけだった。  カルラ=バンクル公爵令嬢。  このサンリク国王ジンギの姪は、18歳にして恋多き女として有名だった。  腰まである燃えるような赤毛で、情熱を振りまく。 「だって、退屈。わたくしを楽しませてくれるのは、どなたかしら?」  突出した美人ではないが、魅惑的な表情で男を惑わせる。  少女の頃から魔性だった。 「ねえ、シュリ。  カイソク王の薬指、見た? おもちゃのような指輪がはまっていた」 「あの距離で見えたのですか? さすがですね」 「王妃に指輪をはめる前にすでにあるなんて、前の女のものよね。  気になるわ。どんな女かしら」 「知ってどうするんです?」 「さあ? でも知りたいでしょう?」  これは、シュリに「指輪の出どころから調べてこい」という意味なのだ。 「お式が終わりましたら、行ってきます。  でも、姫様、」  シュリは言う。 「あれはもう、人のモノですよ。カイソク王では手に入りません」  伯父であるサンリク国王ジンギが来て、カルラ、と呼ぶ。  齢62。貫禄のある王である。 「どうした? 疲れでも出たか?」 「陛下」  カルラは扇を口元にあて、しなッとよろける。 「さすがに、強行軍でありました」 「すまなかった。ダンギのせいで、迷惑をかけているな」  本来なら、この結婚式にはカルラではなく王妃が同行するはずだった。  が、一昨日、息子のダンギ王太子(18)が突然の発熱。看病のため行けないと言い出して、急遽、カルラが呼ばれたのだ。 「ダンギのヤツ、虹の谷の視察以来、どうもおかしい。  変な病気でももらって来たのか――」 「王妃様におかれましては、お嫁さんを知る良い機会でしたのにね」  王太子には、カイソクの貴族令嬢との結婚がほぼ確定している。  が、どうもそれが滞っているようなのだ。  令嬢がカイソクを出ることを不安がっているとか、父親が王家ともめているとか。  とにかく、よくは分からないが、縁談が進んでいない。 「家柄としては申し分ないし、他に年齢が見合う娘もいない。  両国のためにも、これを機に説得して帰りたい」 「お任せ下さい、陛下。  わたくしは令嬢と同い年ですし、友達になれば、サンリクに来る不安も薄らぎましょう。  ダンギが誰でもよいと言っているのですから、令嬢さえ説得できれば、うまく収まります」 「頼んだぞ」  これが、今回のカルラの任務である。  ダンギの婚約者となるゾフィ=クール嬢の説得。  両国間の平和のためにも、この縁談は重要なのだ。 「さて、私は式に戻ろう。カルラはどうする?」 「わたくしも戻ります。だいぶ良くなりました」  興奮はまだ冷めていない。  でも、戻って見たくなった。  年若い新王は、王妃にどのように接するのか。 「――甲斐甲斐しいこと」  翌日はお披露目のパーティーで、国王夫妻は仲良さげだった。  グラスを持ってあげる夫、初々しい妻。  手を取って紹介する夫、頬を染める妻。 「優しげだけど、ちっとも楽しそうじゃないと思わない?」  カルラの思っていることを口にしたのは、サンリクの北の国、セツゲンの王女ナタシアだった。 「お久しぶり、カルラ」  絹糸のような銀髪に、透き通る白い肌。  真っ赤な口紅が、嬉しそうに弧を描いた。 「ナタシア!  今日、着いたの? わたくし、昨日も捜したのよ?」 「着いたのは昨日だったけど、長旅で疲れて、起きられなかったの。山越えは辛いわね」  二人は、うふふと笑いながらベランダに出る。  ここからは、誰にも邪魔されたくない。 「カイソク王のこと、わたくしも同じように思ったわ」 「せっかくの美しい緑の瞳なのに、もったいないわよねえ」  親友が、同じところに目を付けていて嬉しい。 「バルロ=リロク陛下、でしたっけ? 気になるわあ」 「およしなさい、ナタシア。あれは手に入らない」 「あら」 「って昨日、うちの侍女に言われたの」  二人で、また笑う。 「カルラはあの指輪に気がついた?」 「もちろんよ。昨日の結婚式でも、戴冠式でもしていらしたわ。青い石がはまってた」  遠目にも安物だったけど、と付け足す。 「昔の女――、でしょうね。きっと死んだ女よ」 「え?」 「だって、あんなおもちゃ、王妃との結婚式にはめるべきじゃないでしょう? しかも、左手の薬指になんて。  周りの者だって止めたでしょうに、それを振り切って着けてきてるのだもの。  よっぽど愛した女だわ」 「そう、ね。  そんなことをする男が新しい女を迎えるということは、女はもはや――」  亡くなっている、ということに落ち着くのか。 「自暴自棄で王妃を迎えたのかしら?  だとしたら、あの死んだ瞳にも納得がいくわ」 「ナタシアはさすがね」  一つ年下ではあるが、洞察力において、カルラのはるか上をゆく。 「気になるわあ。冷たい目をして、案外、情熱家なのかも」 「やめておきなさい、ナタシア」  カルラは笑って、もう一度言った。 「「あの男は手に入らないわ」」  同時に口にすることになって、顔を合わせて再び、ふふふ、と笑う。 「ところで、ゾフィ=クール嬢、見た?」  いきなり名が出て、カルラはビクッと反応した。  が、なんら不思議なことではない。 ナタシアは、美しいものが大好きなのだ。令嬢の美貌に目を付けたのだろう。 「奇跡の金髪碧眼だわ。群がっている男達の、なんて多いこと!」  その様子を楽しげに眺める光景が、目に浮かぶ。 「あれ、ダンギの婚約者よ」 「え?」 「まだ、正式なお返事は貰ってないけど、そんな意外な話でもないでしょう? サンリクとカイソクは、何かあるたびに婚姻で紛争を回避してきた隣国だもの。  ゾフィ嬢は、先王のひ孫」 「政略は分かるけど、ダンギのお嫁さんなんて――」  もったいない!(容姿的な釣り合いで)――という顔をナタシアはした。 「ねえ、ナタシア。  わたくし、ダンギのお嫁さんには、あなたに来て欲しいとずっと思ってた」  カルラは、長年思い続けてきたことを打ち明ける。 「あなたがサンリクに来てくれたら、わたくしたち、もっと頻繁に会えるのに」 「あら。わたくしも同じことを考えていたわ。  わたくしの弟にあなたが嫁いでくれたら、もっと一緒にいられるのに、って」  二人は手を取り合う。そして、同時にため息もつく。 「わたくし、どうしてもダンギはダメ。あんなつまらない男との将来なんて、考えられない」 「わたくしも、7つの子どもはさすがに無理……」  お互い、親友のためでも男で妥協はできないのだ。   「そういえば、カルラ」  弟の話題で、ナタシア王女は思い出す。 「あなたのところに、カイソクからの縁談は来てる?」 「たくさん来てるけど?」 「その答え方だと、来てないのね」 「?」  ナタシアは、たまに身勝手な納得をする。頭の回転が速いからだろう。付いていくのは大変だ。 「ごめんなさいね。実は、わたくしのところに打診が来たの。第六王子の妃はどうかって」 「第六王子?」  昨日も、今日もお会いしている。  ただ、あの子は――。 「11歳の子ども。結婚は数年先になるだろうから、向こうはわたくしが他に嫁がないよう、予約しておきたいみたい」 「なんというか、」  絶句。  図々しいにもほどがある。  カイソク王家は一昨年の流行病で、多数の王族を亡くしている。彼は第六王子ではあるが、今のところ、新王に次ぐ王位継承者だ。  でも、だからといって、適齢期であるセツゲン王女に成人するまで結婚を待たせるほどの価値はないだろう。 「不思議なのはね、新王との縁談は来なかったの。あなたのところにも、来てないのでしょう?」 「ええ。来なかった」  そんな縁談が来ていたら、ナタシアに話さない訳がない。  そういう意味での、先程のセリフなのか。 「新王は21歳。わたくしやカルラとは、身分も年齢も釣り合う。  なのに、大臣の娘があてがわれて、第六王子には他国の王女との縁談が持ち上がる」 「――変ね」  新王の指輪から、今回の結婚が望まない政略であることは間違いない(ささやかな抵抗のつもりだろう)。  国としても、大臣の娘より、他国の王女を王妃に据えた方が外交的に使えるだろうに。 「――バルロ=リロクの統治は、長くないかもね」  ナタシアは言う。 「第六王子が成人したら、クーデターかしら。暗殺されるのかも」 「――」  カイソクにとっては、仮初めの政権か。  全てを理解した上での、あの緑だとしたら、それは頷ける。 「かわいそうな王子様。――ああ、もう王様ね」 「ナタシアは気になってる?」 「カルラもでしょ」  二人は、顔を見合わせる。 「「やめておきなさい。あれは手に入らない」」  また同時に口にして、お互いに笑いあった。
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