1.前庭・メダカ

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1.前庭・メダカ

「ねぇ、覚えてる?」 彼女が俺に尋ねる。 小さな池の水面から、1ミリも視線を逸らさずに。 優雅に泳ぐメダカたちが、小さく泡を吐いた。 「私はね、全然覚えてない。 気がついたら真っ白なベッドと天井。 窓の外からね、家とかビルとかが見えてさ。 私、すっかり世界から外されちゃったんだって、気づいたの」 車椅子に乗った子供や、点滴スタンドをガラガラ引っ張る老人。 見舞いの花束を携えた、スーツ姿のサラリーマン。 ここにいる人々の中で、彼女は異質な存在だった。 足腰のどこにも不自由がなく、点滴スタンドすら引っ張っていない。 患者着がなかったら、入院患者だとはわからない。 「みんな、ちゃんと池の中に収まっている。 私だけ、水から飛び出しちゃった」 「話してみたらどうだ。何があったのか、とか」 彼女の視線が、病院の入口を、うかがうように動く。 「やだよ、よくある話だもん。 SNSとかさ、そこらへんで、聞き飽きてるでしょ」 「関係ない」 彼女は池のメダカをすくい上げ、地面に叩きつける。 水が飛び散った。 「じゃぁ、約束して。 絶対、絶対、口を挟まないって。 約束してくれなきゃ、話さない」  
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