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皮が取られ盛られた実は妙に赤かった。
彼は碧の足元をまたぎ、皿を中央にある座卓に置いた。
「食べよう」
「いいよ」
「なんで? 美味しいよ」
彼が座卓の向こう側に座る。視線が気になり、今度は縁側に向けて寝返りを打った。
「スイカ、好きじゃない」
「嘘だね。俺が見せたとき、のどが鳴ってた」
立ち上がって畳を踏む足音がし、すぐ背後に膝をついたのがわかった。スイカを手にした彼が覗き込む。
「ほら、食べてみて」
低いトーンが鼓膜を騒つかせる。口元に赤いスイカが近づいた。逃げようがない。このままだといつまでもそこにありそうだった。
碧は小さく口を開けた。白く長い指が、赤く温いスイカを押し込む。指は舌先に触れ、唇を撫でる。口端から流れる滴をすくった。
「……かわいい表情して。とって食うわけじゃなし」
額から落ちる後れ毛が碧の頬を撫で、離れた。
碧は口元をぬぐった。
口の中で歯に当たるはずの種を探したが、感触は見つからなかった。あの赤さは種の黒が取り除かれているためだった。
背中の向こうで、スイカを食む音がしている。
濃い緑の繁る枝の向こうに、薄水色の水平線があった。米粒のような船影が見えなくなる。
セミの声が、遠くでしていた。
とって食われるつもりは毛頭ない。
そもそも、とって食うなんて、意味がわからない。
「碧のぶん、冷蔵庫に残してあるよ。食べてね」
しばらくすると、彼はそう言って帰って行った。
「あいつ」
何しに来たのだろう。
そう、いつも思う。
無遠慮にこの家に足を踏み入れ、ただ過ごし帰っていくだけなのだ。
佐良と名乗っていた。その名をまだ呼んだことがない。
彼がいなくなった家の中は、ささやかに届く潮騒だけだ。
畳に、赤い染みが残った。
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