気の置けない

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気の置けない

 部室に入ってくるなり、透哉(とうや)は大きなため息をついた。 「なあ、聞いてくれよ」  視線は、先に部室に来ていた真矢(しんや)に向いている。  真矢は読んでいた本を置き、座ったまま透哉に向き直る。 「どうしたんだ?」 「実は今度、ちょっとした知り合いの先輩と飲みに行くことになってさ。――別に嫌いな人じゃないんだけど、なんというか気の置けない人なんだよ」  それを聞いた真矢は、僅かに眉を(ひそ)めた。 「気が置けないならいいじゃないか」 「いや、良くないだろ。二人っきりだぞ。学部も違うし、もちろんサークルも違う。何を話したらいいかわかんねーよ……」  真矢には聞こえない小声で「女の先輩ならまだ嬉しいけどよぉ……」と付け加えた。  男の先輩と二人きり。しかも相手のことをよく知らない。人と話すことを苦としない透哉でも面識の少ない相手と二人きりでは、会話が続くか自信がない。 「透哉」 「お、おう」  名前を呼ばれ、ハッと我に返る。 「間違えている」 「……は?」 「『気の置けない』の意味、間違えている」 「えっ!?」 「『気の置けない』というのは、『気遣いをする必要がない』という意味だ。つまり気の許せる相手、ということだな」 「えー……。マジかよ。知らなかった」 「よく誤用される言葉だからな。そういう勘違いもあるだろう」  顔を赤くする透哉から視線を外し、読みかけの本を再び開く。 「要するに『気の置けない相手』というのは、僕のような相手のことだよ」  何気ない言葉。しかし、それを聞いた透哉は驚きに目を見開く。  自分の言ったことを理解しているのか、していないのか本に視線を落としたその表情からは読み取ることができなかった。 「……お前さ、時々恥ずかしいこと言うよな」 「――は?」  きょとんとする真矢を無視して、ソファーに腰と鞄を下す。 「なんでもない。それより今日はラーメン食べに行こうぜ。言葉を教えてくれた真矢センセイ、驕るぜ」 「――本当に、『気の置けない』相手だな」  クスッと真矢が笑った。
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