依存理由

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 洗濯をしたら服が破れた。  料理をしたら具材が溶けていた。  掃除をすればテレスが通る場所まで物が散らばり、お茶は顔を顰めるほど渋かった。  だが注意をすれば、最初の失敗が嘘みたいにやってのける。まるで聞くまで忘れていたかのようで、バシルに新しい仕事を任せる場合はまず失敗する覚悟する必要があった。  話し方もについてもそうだ。  幼い子供みたいに拙かったのが、いまでは違和感なく話せている。たまに単語を復唱して止まるが、理解すれば元に戻る。  バシルは不思議な男だった。  ――今のところ問題は起きていないからいいけど。  テレスは精霊石の素となる石を前に深呼吸を一つした。雑念を払い、自分の中に流れる力に集中する。  やがて流れは確かなものになり、それをゆっくりと手のひらに集めて石に翳した。  テレスにも見える彩が石に流れ込んでいく。色のない世界で生きるテレスの、唯一の灯りだ。  火の力を込めれば赤く光り、水は青、風は緑。もう何度も経験したけれど、この瞬間がテレスは好きだった。  突然けたたましい音がして、テレスは逸れそうになる意識を引き止め、込め過ぎた力を緩やかに戻した。精霊石は急いで生成しても質が悪くなるだけだ。  ――食器でも落としたのかな。  自分でも覚えのある音だ。  家の中はなるべく割れない素材を選んでいる。値は張ったが、この選択は正しかった。  しかし心配すべきは落ちた物ではない。  肌がぴりぴりとして、家の中の空気が落ち着かない。  ――様子を見てこよう。  作りかけの精霊石との回路を断ち、テレスは椅子から腰をあげて爪先を滑らせるように足を出した。 「バシル?」  シンクの前にいるであろうバシルに声を掛けるが返事はない。  大きな影は見当たらず、仕方なくテレスは腰を屈めて宙に手を伸ばした。  手首に棚が当たり、壁伝いに進むと大きな塊に辿り着く。本人は小さくなっているつもりだろうが、身を隠すには無理がある。 「怪我はないか?」  声をかけ、触れた直後テレスは体に受けた衝撃に何が起こったのか理解するまで時間を要した。遅れてやってくる体の痛みに、壁に突き飛ばされたのだと理解した。  背中が痛み呼吸をすると咳き込んでしまう。転がったせいでバシルがどこにいるかもわからず、テレスは床に転げたまま腕を上げるがうまく動かない。 「あ……」  怯えた声がしたかと思うと、床をから振動が伝わり、何かが横切っていくのが感じ取れた。  痛みがいくぶんか和らぎ、腕を着いて上体を起こすと眩暈がした。揺れる頭を手で抑え、小刻みに呼吸を繰り返せば眩暈も治まった。  神経を研ぎ澄まし、バシルがどこにいるのか探れば家の裏手にいるようで、どうしたものかとテレスは思案した。  考えていると家に近づく気配を察知し、様子を窺えば知った人物でテレスは緊張を解いた。 「テレスさんいるかい」  彼は定期的に訪れる商人で、足りない物を持って来てくれる。 「今行きます」  声を張り上げ、テレスは玄関まで急いだ。  ドアを開けると紙や食材、日用品の混じった匂いが家の中に吹き込んだ。 「あれ? 新しい使用人を雇ったんじゃ?」 「雇いましたが、今は別のことをしているので」  嘘は言っていない。 「挨拶をしておきたかったんだがなあ」 「すみません。伝えておきます」  会話を交わしながら、テレスでも読める精霊石のインクで書かれた納品一覧に目を通す。バシルが来ると決まってから食材を増やしたが、もう少しあってもいいかもしれない。 「そういえば、北で物騒な事件があったらしいよ」 「物騒な? すぐ近くなんですか?」 「歩いて二日ほどの場所だ。なんでも怪しい研究をしていた男が重傷を負って見つかったとか。よくわからない生き物の死骸が散らばっていたらしい。獣がやったんじゃないかって話だ。大雨で被害があったのに、不幸は続くもんだねえ」 「それは確かに物騒ですね」 「犯人はまだ見つかっていないから、念の為気を付けた方がいい。まあ、この家が侵入されることはまずないだろうが」  商人はこの家――テレスの特性を知っているから軽く言うが、守りは完全ではない。  荷台を引いて去る商人を見送り、テレスは家の裏手にいるバシルに意識を向けた。バシルもこちらを気にしているのか落ち着きがない。 「世話が焼ける」  使用人としては失格だが、あいにく糾弾する者はここにはいない。  テレスは玄関から外に出て、わざと足音をさせて壁沿いに歩いた。 「バシル」  名を呼ぶが返事はなく、代わりに喉を鳴らす音が聞こえた。 「荷物を運ぶのを手伝ってほしい」 「……怒らないのか? 罰は?」 「怒らないよ。びっくりしたけど、バシルも驚いたんだろう?」 「雇い主を傷つけていい理由にはならない」 「反省しているのか?」 「反省、した。あと怖かった。壊れたかと思った」  バシルが本気でテレスを突き飛ばしていたらそうなっていたかもしれない。だがバシルは咄嗟の行動の中で力を加減した。  ここへ来る前のバシルは、どうやらよくない環境にいたらしい。粗相をするとひどく怯えてしまう。今回も食器を落とし、動揺しているところにテレスが現れて、突き放して怖くなってしまったのだろう。 「僕はそう簡単には壊れないよ。次は気を付けてくれればいい」 「俺を始末しないのか?」 「しないよ。君がいなくなったら困るからね。さあ、反省が終わったのなら仕事をして」  踵を返し、戻ろうとした腕を引かれてテレスは背中から崩れた。しかし転がることなく、大きく温かいものに背中から包まれる。布越しに躍動する筋肉が伝わってきて、じっとそこばかりに意識を集中させた。 「僕も失敗ばかりだった」  字も読めなくて、見えないハンデを負いなが死に物狂いで勉強した。今でもミスはする。 「でも色んな人に支えられて、なんとかひとり立ちてきた。だから僕が誰かのために何かをするのは当然のことなんだよ」 「俺はお前に雇われた。立場が違う」 「同じだよ。この家にいるってことは、家族みたいなものだからね。僕のエゴを君に押し付けているんだよ」 「エゴじゃない」  身体を支えるだけだった腕が抱擁に変わる。  テレスの形を、熱を感じるかのように掌が動き、苦しいくらいに締め付けられた。バシルの熱は教会で共に寝た子供や、テレスを支えてくれた前任の使用人とも違う。  やんわりと押し返すと、最初は頑なだった腕の拘束が緩みするりと抜け出した。途端に熱が引き、寂しさを覚えたことに苦笑を漏らす。 「荷物は玄関にある。バシルがわかる場所にしまってほしい。頼める?」 「わかった」  はっきりとした返事にテレスは柔らかく笑った。
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