水辺の景色

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「なぁ、覚えてんけ? みんなで十津川行った日のこと。あん時はあんた、駄々こねて大騒ぎになって……なぁ?」  お酒のせいで頬を真っ赤に染めたおっちゃんが、私の顔を見てニヤニヤ笑った。  じいちゃんの法要が終わった後、お寺のお座敷に親戚みんなが集まって仕出し弁当を食べている席でのことだった。  この時は50人近い大人数がいて、これが亡くなった人を偲ぶための会であるとは思えないほど、みんな楽しげに盛り上がっていた。  おっちゃんが普段なら絶対関わらない私なんかに話しかけてきたのも、その明るい雰囲気ゆえだったのだと思う。  ちなみにおっちゃんは父の二番目のお兄さんに当たる人だ。  けど私はその緩みきった口元から言葉が飛び出すと同時に表情を消し、すっくと立ち上がった。 「ちょ、ちょっと、百合子……」  私の隣に据わっていた黒の半袖ワンピース姿の母が、慌てた様子で私のスカートの裾を引っ張ったけど、その手を無言のまま乱暴に振り払う。  おっちゃんはビールグラスを掴んだまま、豆鉄砲を喰らった鳩のような目をしていて、その周りにいた親戚たちや、私とは少し離れたところに座っていた父に至っては、何が起きたのかすら分かっていない。  私は黒のフォーマルバッグを手に取ると、座敷から大股で出ていった。そしてそのまま廊下をずんずん歩き下駄箱へ。馬鹿の一つ覚えみたいに同じような形ばかりが並ぶ黒のパンプスの中から、自分のものを探し出して履いた。  そこへ父が追いかけてきた。  母から事情を聞いたのだろう。頭のてっぺんから湯気を吹き出さんばかりのお怒りモードだ。 「コラ! 何やっとんねん。あんなんしたらおっちゃん、気ぃ悪しはるやんけ!」  こういう時に私の取る態度は決まってる。唇をぎゅっと結んでの断固無言。  まぁ、そういう時の父の態度の方も決まっているのだけど。 「百合子!」 「……余計なこと喋るなって釘刺されてたから、何も言わないで出てきただけ」  怒鳴られたから振り返ったけど、反省したわけじゃない。あの場に居残ったら私は間違いなく問題を起こしていた。その手前でサヨナラするのは私と私の周りの人を守るための大切な手段だ。 「法事に出たし、お焼香もしたし、孫としての義理は十分果たしたよ。カメの世話もあるし、もう帰るわ」 「なんで……なんでお前はそういう(憎たらしい)態度ばっかり取るねん?!」  父の声が憎しみで沸騰していた。  自分の娘がこんなにも話の通じない存在である理由がさっぱり分からないのだろう。  でも私はその理由(わけ)を知っている。 「そりゃ、私がフランス人だからだよ」  私はお寺の山門を出た。父も表までは追いかけてこなかった。親と言えども、36にもなる娘の行動までは制限できない。いい気味だ。  寺の外に出ると、蝉が鳴くのを諦めるほどの、強烈な陽光が私を襲った。帽子も無い、その上全身黒づくめの私のはその光の全てを吸収してしまうけれど、それでもあんな胸糞悪い異国の集会に参加するよりマシってものだ。  歩道の無い、両側田んぼ時々民家、という田舎の幹線道路を、私はPoupée de cire, poupée de son~夢見るシャンソン人形~を大声で歌って歩く。  どうせこの炎天下で外を歩いている人なんて誰もいないのだ。誰の迷惑にもならないなら何をしたっていいじゃないの。  私は駅へ向かって歩いた。そこから関空に出て羽田へ飛ぶつもり。空港は私が中学の時にできたもので、それまで東京と往復するには新幹線と在来線を乗り継いで4時間以上かかっていたのに、これが片道たったの2時間半になった。でも便利だからといって私がこの町に帰ってくることはめったに無い。今日だって、じいちゃんの一周忌くらい出てあげて、と母に泣きつかれたから渋々顔を出しただけだ。  歩いているうちに、そのじいちゃんの家の前へ出た。おっちゃんの家はこの更に奥で、私の家は通りのもう一つ向こう。うちの一族はみんな群れたがる性格みたいだ、私を除いて。  お寺には今朝直接向かったから、私が自宅周辺を歩くのは久しぶりという事になる。そのわりに、懐古の情が一欠片もこみ上げてこない。  これでも8年は住んでいたはずなのにね。  笑えてきたけど、そんな私の薄情ぶりにはこの町の方がしびれを切らしたみたいで、瓦屋根の向こうから、不意にお囃子の音色が流れてきた。  その独特な節回し、太鼓のリズムには聞き覚えがある。 「ちっ」  私は派手な舌打ちをもらした。それと同時に、道端の小石をじいちゃんの家の生垣に向かって蹴り飛ばしたのだった。
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