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さっきおっちゃんが話そうとしていたのは、私が小学四年生の時の話だ。
その頃私たち家族はまだ埼玉で暮らしていて、祖父母と親戚が額を寄せ合いながら生活しているこの町に、盆と正月だけ帰省していた。
その際、久方ぶりに顔を合わせて気持ちの盛り上がった父たち兄弟により、子どもらを連れてみんなで遊びに行こうや、という話が持ち上がった。
行き先は奈良の山奥に決まった。名前も忘れたけど、綺麗な川が流れていて、水遊びができる。
「バーベキューもするで。嬉しいやろ」
父は張り切っていたけど、私はちっとも嬉しくなかった。
そもそも帰省をしたくなかった。私の知らない言葉で喋る謎の国の人たちに囲まれて寝起きするこの数日間がどれだけ苦痛だったか、この国で生まれ育った父には到底分かるまい。
だから15人もの親戚たちが大騒ぎしながらバーベキューを楽しんでいる間も、私は川辺で一人、フランクフルトの棒をしがんでいた。もはや自分の唾液の味しかしない棒を、私はいつまでも噛み続けた。
「何やってんねん、お前」
父は私の口から棒を抜き去って捨てると、そのまま滝壺の上まで連れて行った。
滝と言っても大きなものじゃなくて、落差は1mくらい。この滝の落下地点、つまり滝壺には、滝の流れで抉られ異様に深くなっている場所があり、そこに飛び込んで従兄弟たちは遊んでいたのだ。
私より大きい子も小さい子も、男の子も女の子も関係なしにみんなが飛んでいた。大きな水しぶきが上がる、そのたびに静かな山の中には歓声が響いた。
「百合子もやれへんけ」
父はいつまで経っても従兄弟たちと一緒に遊ぼうとしない私に痺れを切らし、みんなの輪の中へ連れてきたのだ。
従兄弟たちも親切だった。
「一緒にやろうや、百合ちゃん」
滝壺の真下で待ち構えて呼んでくれる子、実際に飛んで見せて楽しさをアピールする子、私を説得しようと顔を覗き込むようにして話しかけてくる子、みんな様々だったけれど、いつの間にやら「飛べ!!」「頑張れ!!」と応援コールが飛び交い始めた。
でも私はどうしてもやりたくなかった。
怖かったわけじゃない。飛ぶ事自体は構わなかった。
でもみんなの空気に流されて飛ぶのがとてつもなく嫌だった。飛んだ後にはみんなが拍手喝采で盛り上がることだろう。そういう空気、本当に耐えられない。
「百合ちゃんならできるで」
「これぐらいどおってことないやんけ。いっぺん死ぬ気で飛んでみぃや」
応援する声が大きくなるほどに、私の心は頑なになる。
大勢で取り囲んで私の意思をひねりつぶそうとする行為に、私は強い憎しみを覚えた。私は私なのに。こんなの、絶対負けてやるもんか。
私は血が出るかと思うくらいに強く奥歯を噛みしめ、自分の足先をただひたすら睨みつけていたが、その時父が肩をポンと叩いた。
「早よ飛びぃや、百合子。みんな応援してくれとるやんけ」
実はその言いざまが一番気に障った。応援されているから飛ばなきゃいけないという理屈は、私が私であろうとする気持ちの真逆に対峙するものだった。到底受け入れられない。
「ほな、お父さんが一緒に飛んだろ。それならええやろ?」
この時、父に不用意に腕を掴まれて驚いたこと、滝壺の上の狭い岩の上で逃げ場がなかったこと、そして猛烈に気が立っている私は飢えた狼並みの獰猛さになると父が理解していなかったこと、その三つが組み合わさり不幸は起きた。
私は私の自由を力づくで奪おうとする父に、猛然と噛みついたのだ。
「痛っ!」
滝壺から一部始終を見ていた従兄弟たち曰く、父が痛みで足を踏み外し滝壺へ落下する際も、私はスッポンのごとく、父の腕へ噛みつくのをやめていなかったのだとか。
しかし絡まり合うように水の中へ落ちた割に、二人とも怪我はしなかった。それでも父は激怒し、従兄弟たちはドン引き。母や親戚の大人たちもびっくりしてみんなで大騒ぎし始めたけど、そんな中、私は泣くこともしないまま、断固として無言を貫いた。
いいとか悪いとかじゃなくて、とにかく私は嫌だったのだ。ただそれだけ。そっと放っておいて欲しいだけなのに、どうしてそんな簡単なことすら許されないのか。
結局父とは埼玉に帰った後も口をきかなかったけれど、数カ月後、根負けしたのか、父の方から話しかけてきた。
「あん時のことやけどな、お父さんも百合子が嫌がってんのに無理強いして悪かったわ。けど百合子ももうちょっと歩み寄ってくれんと」
私は口をぎゅっと真一文字に結んで、父を睨みつけた。
それですっかり気を悪くした父は、それ以降この話題を一切振って来なくなったのだった。
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