水辺の景色

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 この時以降、家族で帰省することはなくなった。  別に私に気を遣ってくれたわけじゃない。むしろその逆で、父がずっと出し続けていた異動願いが通り、その年の冬、家族三人でこの町に引っ越すことになったからだ。  しかし元々協調性ゼロで、集団行動を苦手とする私が、言葉の通じない土地に馴染めるわけが無かった。  いや、言葉の問題だけじゃない。私は当初、うちの親戚だけの話だと思い込んでいたけれど、新しい小学校の子たちはやたらと人との距離感が近かった。  これは人付き合いが苦手な私には大問題だった。  どんなプライベートなことでも踏み込んでくる。そしてどこから情報を仕入れるのか私のことを何でも知っている。  そんな連中、気色悪くて近づく気にもなれない。  中でも一番嫌だったのはお祭り。この町の人は『祭りの最中に死ねたら本望』と公言して憚らないほどお祭に熱を入れていて、父が故郷に帰りたがったのもこの祭りのためだった。  祭りが開かれるのは10月だったけど、その準備は何ヶ月も前から始まっていた。毎週末、地元町内の青年団が中心になって踊りやお囃子の稽古をするのはもちろんのこと、親睦を深めるための交流会まであった。  もっとも、こういう濃厚なお付き合いは、住人の全員が参加するものじゃなくて、最近引っ越してきた人たちは完全に部外者で、お祭り当日もただ見物するだけだ。  そういう意味では私もこの仲間に入る必要はなかったと思うけれど、父の縁で無理やり参加させられそうになったことはある。  もちろん私は断固無言で抗議。  そんな私に父は「百合子!」と顔を歪めて怒鳴り、母ですら「自分から仲間に入っていくようにせんと、誰からも仲良くしてもらわれへんよ」と叱った。自分は行きたくもない婦人会に強制参加させられて、青年会の会合のたびに食事や酒の準備に追われるのが嫌だとこぼしていたくせに。 「仲良くしてほしいなんて思わないし」 「お前はホンマに奴やな」  父はこの頃には、宇宙人でも見るような目で私を眺めるようになっていた。 「なんやフランス人みたいやんけ、自分」  私を評し、そんなことを言い出したのは中学の時の担任だった。  英語の先生ながら「ディスイズアペン」と完全日本語な発音をするおっさん。そんな人にフランス人みたいって言われても……この人、英語もまともに喋れないのにフランス人の知り合いなんている訳ないじゃん、と私は鼻で笑った。  でもこのおっさんのおかげで、私は俄然フランスに興味が湧いて、調べてみる気になったのだ。  当時家庭への普及が進み始めていたインターネットは魔法の道具だった。知りたいことが何でも書いてある。そしてネットで調達した情報によると、フランスは個人主義が進んでいる国で、誰もが周りに気兼ねなく自由に暮らしているということだった。  特に気に入ったのが、他人に迷惑をかけないのであれば何をやってもいいじゃないというあっけらかんさ。  すばらしい、と私は心の底から感動した。  この町では……いや前に住んでいた埼玉でさえ、他の子がやってるのだからあなたもやりなさい、という圧力を感じていた。  拒否すると怒られる。  でも嫌なことは絶対やりたくない。私が私でいられないのなら、私はこの世に存在する意味がない。 「きょうび(最近)の子は辛抱することも知らんけ? これじゃ嫁の貰い手もあれへんで」  じいちゃんは私の顔を見るたびに、不満を漏らしていたし「そんなにわがまま言ってたら、嫁いだ先でも苦労すんで」と母にも嘆かれていたけど、フランスだったら結婚する必要すらないらしい。  なんでも、PACSという税制上の優遇を受けられるパートナー関係を結ぶだけでいいそうだ。そしてそのPACSすら結んでいなくても、後ろ指を指されることはない。  だから日本のように30を過ぎて独身でいることを、ネチネチ非難される風土が無いというのだ。  あぁ。これはもう、地上の楽園ではないか。  しかも百合の花がフランス王家の家紋に描かれていると知って、私はもう絶対的な運命を感じた。  早くフランスへ行きたい。  私は切望した。  私は生まれてくる場所を間違えただけ。真に生きる世界はフランスだったんだ。
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