25夜の事で

1/1
前へ
/414ページ
次へ

25夜の事で

ここまで小説を読んで下さりありがとうございます 25夜を読んだ皆さんの中で 中途半端感というか 腑に落ちないというか もっと詳しく知りたいというか こういう感じを受けた方がいるとおもいます この時なんですが 正直言って あの悪霊の正体を探る余裕なんてものはありませんでした 俺を見ていた女性の目の事も危険を知らせてくれた霊の事も なぜあの悪霊が廃墟にいたのかも いつから住み着いていたのかも 本来ならそういう謎の部分を解き明かすのですが 今回ばかりはそんな余裕はなく とにかく紫苑とあやめに危害が加えられないように そして俺自身、生きて帰らなければいけない そのためにあの悪霊をどう倒すか この事ばかりが頭の中を巡っていました 簡単に言えば とにかくこの場から生きて帰るのが第一条件 その他の事は二の次だったんです なので 謎の残るような話になってしまいました でもこれがリアルなんですよね 作った物語のように綺麗に最後が終わるわけではない 本当の話だからこそ 中途半端になってしまうこともある 謎も残ることもあります 霊能者であっても霊や悪霊、怨霊に対して完璧に対処できるわけでもないし 分からないこともあります 間違った対処の仕方になってしまう場合もあるんです そういう事も踏まえて これから更新していく話を読んでいただけたら幸いに思います あと後日談 あやめが持ってきていた書類の内容と実際の食い違い 俺にはその話は入ってきていないので分かりません 俺が受けた依頼でもないですし 機関自体が違いますから でもあまりにも内容が違いすぎるので 俺が依頼を受けている機関の柿崎さんに話をしたので 向こうの機関に何かしらの監査は入ったはずです あと あの悪霊の正体というか 何者なのか これは俺の予想内ですが 話そうと思います あの悪霊は年代的には昭和初期の頃なのか?と思います そして 生前は霊能者だったのではないか? そう思うんです 何故そう思ったか あの悪霊は印を組み 教を唱えました 印も教も現代ではあまり見ないもの ただ 教の唱え方と言えばいいかな 婆さんが生きていた頃 現代(婆さんが生きていた当時)と昔の教の違いと言うのを聞いたことがあり それで昭和初期か大正時代のものかと思ったんです そして この悪霊は生前、印や教を習慣化して 毎日唱えていたのではないか? そうも思ったんです (これはお寺のお坊さんが朝晩お経を唱えるものと同じと思ってもらっていいです) 毎日、何年、何十年と、印を組み教を唱える その回数は何万、何十万回になると思います 体にその動作が染み付き無意識でもできるようになっていたと思います だから 自我の無い悪霊になっても 生前習慣化した印の動作ができ 教を唱えられたのではないか? そう思ったんです 皆さんにもありまんか? 学生時代に部活をしていて 今になっても咄嗟に部活の時の動作が出てしまう事 俺は今でもあります 学生時代はずっと柔道と柔術をしてきました 社会人になってからも23歳くらいまでだったかな 母校の生徒に時々柔術を教えていたこともあって 今では黒帯で3段まで取ってます 依頼の時や私生活でも 不測の事態が起きた時 咄嗟の行動で 体を低重心にして身構えてしまうんですよね この体を低重心にする行為は 柔術や柔術では基本の体制で常にやっていたからなんですよ だから あの悪霊も生前の行為を自我がなくてもできた そう思ったんですよね これはあくまでも俺の予測なので 真意は定かではありませんからね 霊の世界というのは まだまだ知らないことばかりです 今でも悩む事も沢山あります 俺も俺の知っている霊能者の人達も 知らない事が沢山ある霊の世界に足を踏み込んでいます その理由はもちろん 困っている人を助けたいから それだけです 話が長くなってしまいましたが 25夜の追加話と思って読んでくださると幸いです これからも スロー更新になってしまいますが この心霊体験記3rdをよろしくお願いします 玉二郎 【終】
/414ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2833人が本棚に入れています
本棚に追加