1510人が本棚に入れています
本棚に追加
28話
あの夜から2週間ーーまだ浮かれ気分の和暁から飲みに誘われ、由香を送り届けた後店に向かった。
「慎也、例の件に進展があったぞ。」
「例の件?」
「ああ。あの女と偽装結婚の噂、どちらにも専務が関わっていた。」
どういうことだ。
何で急にそんな展開になった?
「奥島という社員が泣きついて来たんだ。専務に無理矢理退職を迫られた、パワハラだ、と。」
「は?」
奥島って、由香に纏わりついてたあいつだよな。
無理矢理迫られたって何だそれ。
「専務と長年付き合いがある取引先を怒らせたのが原因らしいな。自分の顔に泥を塗られたと思ったんだろう。」
「ついにそんな事やらかしたのかあの男。」
「専務が丸く収めはしたが、辞表を書けと言うぐらいだから相当頭に来たらしい。」
自分がコネで入社させた奴を、今度は自分が追い出すのかよ。
あいつに同情する気は更々ないが、専務も専務だろ。
「だがそのお陰で、彼から面白い話が聞けた。」
「それが例の件なのか?」
「ああ。どうやらあの女とは、専務と行ったクラブで偶然知り合ったらしい。俺の話にあまりにも食いついてくるから話を聞いたら、俺と昔付き合っていたと言ったそうだ。」
「付き合っていたねえ…」
流石に本当の事は言えなかったのか、それとも見栄かプライドか。
「それで、あの女に誘惑させようと思いついたそうだ。結婚直後に昔の女と不倫なんて、スキャンダルもいいところだろう?しかも、逃げようの無い証拠も掴める。」
「まあそうだな。」
嫁の事が無くても、和暁があの女の誘いに乗る可能性はゼロの時点で、やるだけ無駄だったとは思うが。
「噂は?」
「奥島という社員が、知亜希達の会話を偶然聞いたそうだ。」
「偶然って…そんなわけねえだろ。あいつは由香を追いかけ回してたんだぞ。」
「分かってる。本人は偶然だと言っていたが、盗み聞きしたんだろうな。ただ、契約という言葉は聞こえたものの、何の事かは分からなかったらしい。」
それでどうやって、偽装結婚なんて話になったんだ?
「後になってその話を聞いた専務が、俺の結婚が契約で結ばれた偽装結婚だと噂を流すように言い出したそうだ。流石にそれは無いだろうと思ったらしいが、専務からすれば事実かどうかは関係無かったんだろうな。」
「あ~…なるほど。要するにこういう事か?結婚直後の不倫が確実な証拠と共に流出すれば、ただの噂に過ぎない偽装結婚の話も信じる人間が出てくる可能性が高い。専務はそれを狙ったと。」
「そういう事だ。知亜希が社員だったのも都合が良かったんだろうな。俺が社長の立場を利用して結婚を強要したと言う事だって出来る。知亜希がそんな証言はしないとしても、俺に脅されているとか言いようは幾らでもあるからな。」
不倫が事実の場合、他の事は証拠が無くても信じる奴は信じるだろう。
パワハラも疑われる事になるし、社員の信頼が厚い分失望も大きくなる。
人気商売じゃないとはいえ、本当にそうなっていたら流石に立場は危うかっただろうな。
和暁の父親も許さなかったはずだ。
「今回の事はお前にも責任があるぞ。何も無かったから良かったが、あくまでそれは結果論だ。」
「そうだな…」
お?
珍しく落ち込んで…
「何かあったとすれば、知亜希と俺が運命で結ばれていたと証明されたことぐらいか。」
全然落ち込んでねえし。
新婚旅行後といっても浮かれすぎだろ。
和暁の事だから、俺が言うまでも無く反省はしてるんだろうが、少しはそれを見せろ。
「で、これからどうするつもりなんだ?」
「専務の事は今色々と考えている所だ。父親にも相談してから決めようと思っている。」
「それがいいだろうな。」
奥島は別としても、専務については事を荒立てるのは得策では無いかもしれない。
結果的にはほぼ何も起こってないと言ってもいい状況だ。
変に進退を問うような事をしたら、何があったのかと逆に注目を集めかねない。
「ところで、やっと本題に移るが…」
「は?今のが本題じゃねえのかよ。」
「いいや、全然。本題はこれからだ。」
まだ何かあるのか…
これ以上の話って何だ?
「それで本題って?」
「お前達の結婚についてだ。」
「…は?」
俺達の結婚?
「知亜希が彼女にブーケを投げただろう?」
「やっぱり狙って投げてたのか。」
「ちょっとしたお膳立てのつもりだ。」
「お膳立てって…」
「てっきりお前はそのつもりなんだと思っていたが、違うのか?」
「…考えて無いわけじゃない。」
結婚するなら由香しかいないと思ってる。
由香がどう思ってるかは分からないが…
「モタモタして横から攫われても知らないぞ。」
「どういう意味だよ。」
「知亜希に聞いた話では、彼女の事を慕っている男性社員がいるらしいからな。」
「それ奥島だろ。」
「残念ながら別の社員だ。」
「…どこの誰だよ。」
「さあな。そこまでは聞いていない。」
肝心なのはそこだろうが。
「そんな風に顔色を変えて気にするぐらいなら、プロポーズをすればいい。本気なんだろう?それとも他に気になることでもあるのか?」
「…俺に、ちゃんと家族を作っていけると思うか?」
父親のようになるつもりは絶対にない。
ただ、家族という関係の経験値が絶対的に少ない自分が不安になってきている。
「作れるに決まってるだろう。お前と父親は違う。愛そのものを信じて無かったお前が、今は彼女を愛してると言えるようになった。それだけ変わったお前なら大丈夫だ。作ろうなんて思わなくても、愛情があれば自然と家族になっていくもんだと思うぞ。」
「…そうか。」
和暁の言葉で、胸の辺りがスっと軽くなった。
「それに、プロポーズを受けてもらえるかの方が問題じゃないか?」
「お前…嫌な事言うなよ。」
「自信ないのか?」
「…あるに決まってるだろ。”はい”以外言わせねえし。」
「そうか。…良い報告を楽しみに待っておく。」
差し出されたグラスに、自分のグラスを軽くぶつける。
「すぐに聞かせてやるよ。」
不安が全て無くなった訳では無い。
でも、和暁の言葉で心は決まった。
そうと決まれば計画が必要だと、隣から聞こえてくる新婚旅行の惚気話を聞き流しながら、しばらくの間思考を巡らせていた。
最初のコメントを投稿しよう!