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駐車場に行くと、それらしい男の後姿が見えた。
どうやら煙草を吸っているらしい。
…あの人も、煙草を吸う人だった。
声をかけるべきか迷っていると、気配に気付いたのか後ろを振り返ったその人は、俺を見て目を丸くした。
「慎也…」
俺が何も言えずにいると、手に握られている物を見て、父親が悲しそうに笑った。
「それを突き返しに来たのか?」
「…何でここに来た。」
「せめて祝儀ぐらいは、と思ってな。」
煙草を携帯灰皿で処理した後、それを見つめて懐かしそうに目を細めた。
「…これ、お前の母さんがくれたんだ。」
「は…?」
急に何だと訝しみながらそれを見ると、確かにかなり年季が入っている様だ。
「…俺は、ずっとあいつだけを愛してた。」
「何を今更…」
「…お前の母さんと結婚を考え始めた頃、会社の経営が傾いてな。このままいけば倒産かもしれないと親父は焦ってた。そして…俺に縁談が持ち上がったんだ。」
「…政略結婚って事か?」
父親は軽く頷くと、携帯灰皿を大事そうにポケットにしまった。
「勿論最初は拒否した。でも親父に、この会社で働く多くの人間が救われるんだ、と言われてな。言う通りにするしかなかった。」
「だったらそう言えば良かっただろ。何で他に好きな人が出来たなんて言う必要があったんだよ。」
「お前…何でそんな事知ってるんだ?」
「…母さんの日記に全部書いてあった。別れる事になった理由も…母さんが、死ぬまであんたの事を思ってた事も。」
父親の表情が更に驚きへと変わったが、直ぐに悲しそうに下を向いた。
「…あいつに本当の事を言わなかったのは、思い込みたかったからだ。俺は他の女を好きになったんだと。そうしないと、何もかも捨てて駆け落ちしてしまいそうだった。」
「そんなの…あんたの勝手な都合だ。」
「…そうだな。本当の事を話していれば、もっと他に道はあったかもしれない。せめて妊娠していると分かっていれば…」
ふいに向けられた目は、今まで見たことが無い程優しかった。
その目元に寄った皺が、会っていない年月の長さを伝えてくる。
「あいつがこの世を去ったと人伝に聞いた後、子供がいる事を知ったんだ。年齢を聞いて、俺の子供だとしか考えられなくなった。そして初めてお前を見た時、俺の子供だと確信したよ。だからどうしても、お前を…由紀と俺の子を引き取りたかった。」
「跡継ぎの為じゃなかったのか…?」
「それはお前を引き取るための口実だ。跡継ぎの事はずっと言われていたから、お前を引き取る事は誰からも反対されなかった。元妻との関係は初めから冷え切っていたし、向こうはずっと恋人が居て、俺との子供を産む気は最初から無かったからな。」
「そんなわけない…父親らしい事なんて殆ど…」
「…お前が俺を嫌っているのは分かっていたし、どう接してやればいいのか分からなくてな。辛い思いをさせて悪かった。」
「…何なんだよそれ…今更そんな…」
「お前は俺達が愛し合って出来た自慢の息子だーー本当はずっとそう言いたかった。」
それを聞いて、不覚にも泣きそうになった。
「それに、お前の母さん以上の女は居なかった。」
「…愛人作ってた癖に何言ってんだよ。」
「お前は勘違いしていたようだが、愛人を作った事は1度も無い。再婚相手も、酒が原因の一夜の過ちだった。あの日は、やっと離婚の話がまとまった日で、羽目を外し過ぎてしまったんだ。そんなことも初めてだったから、子供が出来たと言われて驚いたよ。」
「…離婚は、先に決まってたのか?」
「ああ。お前が大学を卒業したら離婚する予定だった。俺が馬鹿な事をしたせいで、少し早まったがな。」
そんな話全然知らなかった。
…というか、知らない事だらけだ。
「…上手くいってるのか?再婚相手と。」
「いや…子供の面倒も碌に見ずに、男に金を貢いでると分かって離婚した。今は父子家庭だ。」
「…女見る目無いんだな。」
「お前の母さんは世界一いい女だったぞ。」
「…そういうこと、普通俺の前で言うか?」
「お前の前だからこそ言ってるんだ。」
「…最近、母さんの墓が綺麗に掃除されてる事が多いんだ。」
「気付いてたんだな。」
「やっぱりか。」
「墓参りは前からしてたが、掃除は最近だな。行く頻度が増えているのもあるが、愛してる女の墓だ。綺麗にしておいてやりたいだろう?それに、俺が向こうに行ってから会ってもらえないと困る。」
「…何だそれ。」
何だか毒気を抜かれた気分だ。
「慎也さん…!」
「…由香!?」
ウェディングドレスを着た由香が、こっちに歩いて来るのを見て慌てて駆け寄る。
「何でここに…」
「社長から話を聞いて、もしかしてって思って…お父さん、ですよね?」
「…ああ。」
由香を連れて父親の元に戻る。
「初めまして。三好由香と言います。」
「君が慎也の…息子の事、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、至らない所も多いですがよろしくお願いします。」
挨拶を交わした後、由香が驚く事を父親に提案した。
「あの…このまま式に参加してもらえませんか?」
「え?いや、でも私は…」
「式場の方には許可をもらって来ました。披露宴は難しいけど、式は構わないと。なので…」
俺にも何か言って欲しいと、こちらを向いた由香の目が言っているのが分かった。
そんな目をされたら、無言でいるわけにはいかない。
「…時間があるなら、いいんじゃないか。出席しても。」
「…本当にいいんだろうか。」
「勿論です!是非出席してください。」
「…ありがとう。そうさせてもらうよ。」
「…はい!」
由香が嬉しそうに笑っていると、後ろから大声で呼ぶ声がする。
どうやら、由香の準備はまだ完全に終わったわけでは無いようだ。
慌てて戻る由香の後に俺も続こうとすると、父親から呼び止められた。
「いい子を選んだな。…幸せになれよ、慎也。」
「…ああ。何があっても俺は彼女を手離さない。」
満足そうに頷いた父親が建物の中に入るのを見て、俺もその背中を追うように控室へと戻った。
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