夕暮れの街

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 タクシーの運転席には乗っていなければならないはずの人間の姿はなく、代わりにギリギリ人型だと判別できる黒い影のようなモノだけが存在していた。  衝撃的な出来事の連続で頭の処理が追い付かず、呆然とソレに見入ってしまう。  不意にタクシーが前進を始めた。動くことができずにゆっくりと進むタクシーを眺めていると、車体は立ち尽くす椎名(しいな)の前に停車し、後部座席の扉が開いた。 「どうぞ、おのりください」  車内から低い男の声が聞こえてきた。単調で、感情のこもっていない声音に全身が粟立つ。 「どうぞ、おのりください」  全く同じ調子で車内の男は繰り返す。頭の中では必死に現状を把握しようとしているが、それに反して思考は一向にまとまらず、逆に少しずつ麻痺していく。  ふと、とにかくタクシーに乗らなければという感情が湧きだし、椎名が体を動かそうとした時だ。  何かが後ろから足を掴んで椎名が乗り込むのを引き留めた。 「あー、いったぁー……」  足元から(いぬい)の声が聞こえて我に返る。思ったよりも軽快な声に安堵しつつ振り返って、ギョッとした。  乾はさっき見た時と同様、ボロボロだった。衝突した衝撃で髪をまとめていた紐が千切れてしまたのか、ポニーテールが解けて垂れ下がった髪の毛は、血で汚れて左頬にべったりと張り付いている。  左の手足の肉は抉れ、右足は今もあらぬ方向に曲がっている。  普通の人間では到底起き上がれないほどの大怪我のはずだ。  驚愕(きょうがく)の光景に固まっていると、突然、乾が椎名の服を掴み、思いっきり引っ張った。  怪我人どころか人間とは思えない力で後ろに投げ飛ばされ、道の脇にある塀に背中を思いっきり打ち付ける。 「いってぇ……!」  痺れるような痛みが走り呻き声が漏れる。自然に溢れてきた涙で滲んだ視界の中で、乾がタクシーから伸びる無数の手に引きずり込まれるのが見えた。  椎名が反応を示す暇もなく後部座席の扉が乱暴に閉まり、タイヤが擦れて悲鳴のような音を立てながらタクシーが急発進する。 「乾!」  追いかけようと椎名だったが、車はすでに手の届かない場所にいた。  なすすべなく遠ざかって行く車の背を眺めていると、タクシーが大きく蛇行運転をし始めた。  まるでもがき苦しむように道の左右にある壁にぶつかりながら走行を続け、そして唐突に爆発した。  爆発、というよりは内側から破裂したような感じだった。ただ車の破片が四方八方に散らばる。  そうして車内から現れたのは炎でも煙でもなく、巨大な“黒いナニか”だった。遠目からでは全容ははっきりとはわからないが、それは大きな獣のように見えた。
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