夕暮れの街

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 戻ってきた。そう確信して胸を撫で下ろした直後、(いぬい)の存在を思い出す。  背中にはしっかりと、(ひと)一人分の重みがあった。  後ろから聞こえた子供の声や、頭を押さえたナニかは消えている。それらも気にはなったが、何よりもまずは乾が先決だった。 「もう大丈夫だ。すぐに病院に連れて行ってやるからな」  ここまで来れば道はわかる。駆け出そうとする椎名を、乾が止めた。 「……まって、びょういん、だめ」  さっきよりも弱々しくなっている乾の声に焦燥感が沸き上がる。 「でも、その怪我はヤバいだろ。早くしないと手遅れになるぞ」 「こんなの、ねればなおるから……わたしの、いえに、つれてって」 「いや、寝れば治るって、そんなわけ──」 「おねがい」  頑なに病院へは行きたがらない乾。  無理やりにでも連れていくか迷ったが、どうしてもあの獣の姿が頭をちらつく。あんなものは存在しない、とどれだけ頭で否定しようとも不安を拭うことはできなかった。  もし病院であれが暴れだしたら──  しばらく逡巡して、結局は乾の言う通りに彼女を家に送り届けることにした。自宅なら乾の親もいるだろう。丸投げするようで悪いが、後の判断は彼女の両親に任せよう。  ──殴られるのを覚悟しておかなければならないが。  息も絶え絶えな乾の案内を頼りに帰路を行く。道中、何度か人とすれ違ったが、夜の闇に紛れて血には気づかれなかった。  そうして辿り着いたのは住宅街の隅っこにある、二階建ての古ぼけたアパートだった。 「そこの、いちまる、さんごう、しつ……」  その言葉を最後に、乾の言葉が途絶え、代わりに寝息が聴こえてくる。 「お、おい? 乾」  呼びかけても返事はない。あと一歩のところで力尽きたようだ。 「家族になんて説明すればいいんだよ……」  知らない場所に放り出されたような心細さを感じながら103号室に向かう。  電気は()いていない。一応、呼び鈴を鳴らしてみるが応答はなかった。  家族は出かけているのだろうか。乾を落とさないように注意を払いながら、ダメ元でドアノブを回してみると、扉はなんの抵抗もなく開いた。  困惑しつつも中を覗き込む。廊下に小さなキッチンのあるタイプの、よくあるワンルームの部屋だ。廊下の奥に部屋があるのはわかるが、扉が閉まっていて中の様子はわからない。 「すいませーん、誰かいませんか?」  呼びかけてみるが、やはり反応はない。呼び鈴の時点であまり期待はしていなかったが。 「……お邪魔しまーす」  このまま突っ立っていても仕方ない。罪悪感に苛まれながらも中へと足を踏み入れた。  真っ暗な廊下を足元に注意しながら進んでいく。奥の部屋を開くと、カーテンの隙間から街頭の光が差し込んでいた。  その光の先には、布団が一組敷いてある。  布団の上にゆっくりと乾を寝かせてから部屋の電気を探してみると、スイッチは入口の近くに設置されていた。  電気を点けた途端、人口の光が暗闇に慣れた鼓膜に突き刺さった。  目の上に手を置いて影を作りながら、部屋の様子を窺う。室内は簡素なもので、机や布団などの生活に最低限、必要な物と大きな冷蔵庫しか置かれていない。テレビすらなかった。  その無機質さに薄気味悪さを覚えながらも、布団の上で横になる乾に視線を移した。  血まみれのままで大丈夫かと不安になったが、勝手に服を脱がせて体を拭くわけにもいかないので、その辺りは深く考えないようにした。
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