夕暮れの街

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 (いぬい)は心地よさそうな寝息を立てて眠っている。まるで遊び疲れた子供のように、その寝息は穏やかだ。  枕の横にある目覚まし時計を見て、椎名(しいな)は目を疑った。  時計に表示されている時刻は夜中の0時を過ぎている。大学を出たのは17時過ぎだ。街を彷徨(さまよ)ったと言っても、時間の進み方があまりにも早すぎる。  最初は時計が狂っているのかと思ったが、行きつけのラーメン屋が閉まっていたことを思い出す。あそこはいつも23時まで開いていたはずだ。そこのシャッターが閉まっていたとなると、この時間でも辻褄(つじつま)は合う。  頭では否定していたが、あの街の異常性を現実の物で突き付けられて目眩(めまい)がする。さらにどっと疲れも押し寄せて来て、椎名は思わず座り込んだ。  しばらく乾の寝息を聞きながら休憩して、ようやく平静を取り戻した。そこで違和感に思い当たる。  親はどこに行っているのだろうか?  この時間だと、両方が仕事というのはないだろう。仮に片親だとしても、こんな夜遅くまで帰ってこないなんてことがあるはずがない。  それともコンビニにでも行っているのだろうか。それにしたって鍵を掛けずに出かけるだなんて……  まさか一人暮らし、なわけないだろう。高校生の、それも女の子がアパートで一人暮らしなんて余程の理由が無い限り……  その余程の理由が思い浮かんでしまった。  途端に目の前で眠る女の子が得体の知れない存在に感じてゾッと背筋に悪寒(おかん)が走る。  深夜のアパートの一室に、女子高生と二人きり。普通なら、この甘い状況にドキドキする展開だろうが、今は違う意味で心臓が早鐘(はやがね)を打っている。  もしも彼女が起きて、化け物になって襲ってきたら──そんなあらぬ妄想が頭をもたげる。  ありもしない不安を振り払うように、椎名は勢いよく立ち上がった。  とりあえずいったん家に帰ろう。血で汚れた服を着替え、自室で一息つけば奇々怪々な妄想なんて浮かばないはずだ。  気持ちを落ち着けて、またここに戻ってくる。そうして明日の朝まで待機して、乾が目覚めなかったり誰も帰ってこなければ警察に連絡する。  理由はなんでもいい。『血だらけの女の子がいます』とでも言えばすっ飛んでくるだろう。  病院は嫌だと言っていたから警察も関与させない方が良いのだろうが、一人で対処するなんてできっこない。こんなの警察でも手に余る案件だろう。  そうと決まれば即行動だ。  椎名は部屋を出て玄関に向かい、はたと気が付く。  鍵はどうしよう。  眠っている女の子がいる部屋を鍵が開いたままにしておくのは、マズいのではないだろうか。  流石に血にまみれた少女を襲う人間はいないだろうが、それでも無施錠は危険すぎる。そもそも鍵を開けたまま放置するのは気持ち的に落ち着かなかった。    どうしようか考えながら周囲を見渡して、玄関の(そば)に設置されていた靴棚の上に鍵が二本、置いてあるのが目に留まった。  まさか、これがこの部屋の鍵だろうか? もしそうなら、いくらなんでも無防備すぎる。  とは思いつつも、椎名はその鍵の一本を手に取り、外に出て鍵穴に差し込んで捻ってみる。  カチリ、と手ごたえを感じた。鍵を引き抜き、扉を開けようと試してみたが、しっかりと施錠されている。 「マジかよ……」  思わず苦笑を漏れた。もしかしたら彼女はとんでもない田舎から出て来たのかもしれない。今度、無施錠は危険であることをそれとなしに注意しておこう。  そう決意を新たに、椎名は鍵を持っていくか、ポストの穴から部屋に入れるかを逡巡して、結局持っていくことに決め、自宅へ向かった。
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