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「久しぶり」 男はかすかな微笑みを浮かべて私にそう言った。 「ああ、久しぶり」 私は何も言う言葉がなかったので、鸚鵡返しのようにそう返答した。 「変わらないね君」 「そうかしら」 「うん、変わってない」 「そういうあなたもあまり変わってないわね」 「何年だっけ?」 「何が?」 「僕らが別れてから」 「そうね10年くらいかしら」 「もうそんなになるのか」 「うん、元気そうね」 「君もね」 「ねぇ、何やってるの?こんなところで?」 「君こそ何でここに?」 「それは、大量の傘の群れが…と言っても信じないか…なんだかよくわからないけど来ちゃったのよ」 「そう…僕も似たようなもんだよ」 「ふーん」 「ちょっと一緒に歩こうか、久しぶりに」 「うん」 「ねえ、覚えてる?」 「え?」 「駅前に、古風なお城みたいな洋館のレストランがあったよね」 「ああ、すごくスペースの広い、ゆったりした場所だった。よく行ったね」 「うん、ランチ時にはいつもバイキングをやっていて、あれも一緒に行ったね。なんかお腹一杯食べたな」 「シュークリームが食べ放題だった覚えがあるわ。いつも食べ過ぎたな」 「仕事帰りの待ち合わせでもよく行ったよね。隣が小さな映画館で、映画を観る前や観た後にもよく立ち寄ったよね」 「うん、そうだった」 「そこにあったよね」 「え?」 「あのレストランも、映画館も、もう何処にも無いね」 その時急に、私はこの場所が何処だか思い出した。 「そうね…」 「ここをまっすぐ行くとボーリング場があったね」 「うん、よく行ったよね」 「君、ボーリング好きだったからな」 「好きだったわけじゃないけど、いつも私が勝っちゃうから」 「そうだった。一回くらいしか君には勝ったことないよね。いつも僕の負け」 「でも結構通ったから、少しは上手くなったよね、お互い」 「うん。でもそれからボーリングなんて1回もやってないから、もう何も残ってないよ」 「私もあれから1回も行ってない…」 「ここ、真っ直ぐ行ったとこだよね」 「うん、なんかすごく大きい建物だったし、ちょっと洒落たっていうか、なんかカッコつけた建物だったね」 「でもあの建物の上に、大きなボーリングのピンが立ってたろう?あれ好きだったな」 「もうそろそろこの辺じゃない?」 「うん、確かこの辺だと思う…」 「もう無いわね…」 「うん…」 「あの大量の蔦の葉が絡まっている廃屋みたいなのあるじゃない?あれじゃない?」 「ああ…。そうだ、あれだね。文字が擦れ切ってる看板がちょっと見えるね」 「そうね…」 「あの建物の上に立ってた大きなボーリングのピンももう無いか…」 「無いわね…」 「そういえば、あのボーリング場からちょっと行ったところに、よく行ったカラオケボックスがあったね」 「うん、ボーリングの後によく行ったよね」 「歌うまかったよね君」 「あなたは音痴よね」 「そう言うなよ」 「でもあれから少しは上手くなったでしょ?」 「変わってないと思う。だってあれからカラオケ行ったことないから」 「そう。私もあれからカラオケって行ってないなぁ」 「ボーリング場から10分ぐらいの場所だったっけ?」 「うん、確かそう」 「ここの道、曲がったとこだよね?」 「曲がってから真っ直ぐだったはず」 「そろそろこの辺かな…」 「…何も無いわね」 「うん…建物も残ってないね」 「その隣の喫茶店は?あの昔ながらのホットケーキが美味しかったとこ」 「あれおいしかったよね?ああ、そっちも、何も無いね…建物自体、無いね」 「そう…」 「ああ、そうだ、ここからちょっと行ったところにいつも一緒に寄った大きな本屋さんがあったよね」 「うん、あったあった」 「あれもここから歩いて10分かそこらのところだよね」 「うん、そうだと思う」 「僕は大体あそこでミステリーとかよく買ったからね」 「私はあなたに付き合って寄ってただけだけど、でもなんかいつもファッション誌とか買ってたわ」 「そういえばいつも一緒に行ってたような気がする」 「うん、だって私ミステリーなんてあんまり興味なかったのに、作家の名前とかあなたに付き合ってて覚えたし、ちょっと読むようにもなったからね」 「そうだった。あ、あの狭い路地みたいなところを通って行ったの覚えてるよ」 「私も覚えてる」 「久々に歩くな、この狭い路地」 「こんなに狭かったのね、今思い出した」 「ここを抜けたところだったよね」 「うん、確かそう」 「抜けたけど…何も無いね、もう…」 「あの大きな建物自体、もう無いのね…」 「うん…」 「…。」 「…。」 「もう何も残ってないね」 「うん…だってもう、この街自体に何も無いじゃない…」 「人の姿も見かけないし、もう誰もいないようだね…」 「君と別れてからこの街にいるのが辛くてね、すぐ他所に出て行ったんだよ」 「私もあなたと別れてからすぐ引っ越したわ」 「何で?」 「言わせないでよ。この街の、あなたと一緒に行った場所に行くと辛かったのよ」 「そう…」 「ねぇ、何であなた、またここの場所に戻ってきたの?こんな何もかも無くなってしまった廃墟に…」 「うん、昔自分が何やってたのか、もう一回見てみたくなったのかもしれないね。君と一緒に行った場所をもう一回見たかったのかも…」 「でもここにはもう何も無いけどね」 「何も無いね」 「もうみんな終わったことなのよ、何もかも」 「もうここには何もかも無いね。全部終わってるね」 「うん、全部終わったのよ…」 「そうだね」 「ねぇ、あなたはいつ帰るの?」 「うん、そのうちにね。君、今何してるの?」 「別に。代わり映えしないOLよ」 「そう。僕は相変わらずデザイナーの仕事にしがみついてるよ」 「そう。変わらないわね」 「変わり様がないんだよ…」 「私もそうかも」 「それにしても何もかも無くなっちゃったね」 「そうね。もう跡形もなく何も残ってないわ」 「もう何もかも消えてしまったんだね」 「うん」 「でも、僕らは変わってないね」 「変わり様がないって言ったの、あなたでしょ」 「そうだけど。でも僕らは変わってないよね」 「うん、まあね」 「ここには昔色んなものがあって、僕個人はたくさん思い出があるよ。君と一緒に行った場所にもね」 「うん」 「でも全部終わってしまって、全てがもう無くなくなってしまった。ここのことを覚えている人の記憶の中にしか、もうここにあった街は存在しないんだよ」 「そうね」 「それに、この同じ場所に住んでいた人の中でも、人それぞれによって、この場所に対する記憶は違うよね」 「うん」 「さっき僕らが辿ってきた記憶ね、あれを共有しているのは僕ら二人だけだから」 「そうね…」 「あの記憶は、僕らの中にしか残っていないんだよ」 「…。」 「誰かが同じ記憶を新たに作ろうと思っても、それはもう無理だよね。だってこの場所にはもう何も無いんだから」 「うん…」 「僕はこの記憶を大事にしていくよ」 「そう…」 「それじゃあ、僕はそろそろ帰るよ。まだ仕事が残ってるから…」 「私も帰るわ。何だか訳も分からずこんなところに来てしまったけど、もう何もかも全てが終わってしまったことはよくわかったから…」 「そう…それじゃ、元気でね」 「うん…」 「ねぇ…」 「何?」 「あなたの連絡先教えて」 「え?」 「また会いましょう、この同じ場所で」 「でも、ここにはもう、何も無いよ…」 「あるわよ。私とあなただけが共有している思い出が。またこの街を、一緒に歩きましょう」 「うん…わかったよ…ありがとう」 私もこの記憶を大事にしていく。 二人だけの思い出。 もうここには、何もかも無くなり、全ては終わってしまったけれど、記憶だけは残る。 とっておきの… 二人だけの… 訳がわからなかったけど、この場所にまた来れて、良かったと思った。 全ては、あの得体の知れない大量の傘の群れのおかげね…。 都市の高層ビル街の空を飛び交う、空飛ぶ傘=スカイアンブレラ。 そんな都市伝説をふと思い出した。 ある時、人は、それを目撃することが出来る… (終)
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