船山教授の最終講義

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船山教授の最終講義

「皆さんは、覚えていますか?」  船山は、ハンドマイクを片手にそう問いかけた。青島学院大学の講堂には隙間なくびっしりと学生が座っており、船山のその姿をしっかりと見据えていた。講堂の入り口付近にはスーツ姿の人や着飾った女性の姿も沢山あり、彼らは立ち見で船山の「最後の姿」を見届けている。 「私が毎年、最初の授業で必ず話していることなんですが、覚えていますか?民法を学ぶことの意義についてのお話です」  船山はそう言いながら、大講堂の全体を見渡した。船山は青島学院大学の専任教授であり、65歳で青島学院大学の副学長に就任。司法試験における民法の試験委員を務めたこともあり、法学界では重鎮とも呼ばれていた。船山が受け持っていた民法総則の講義は毎年かなりの学生が履修をしており、船山の受け持っていたゼミは毎年選抜試験が行われるほどの人気を誇っていた。そんな船山もついに今年で齢70歳、青島学院大学の規定上定年を迎える年齢となった。今日は船山の最終講義であり、現役の大学生は勿論大学院生や社会人となったOB、OGも駆けつけてきている。青島学院大学では今までも定年退職する教授をこういう形で送り出してきた。だが、いくら今日が土曜日とはいえここまで大盛況な最終講義は開学以来今まで一度もなかった。 「民法は、社会生活のあらゆるところに派生するおおもとのルールです。コンビニでジュースを買うことは555条の売買契約にあたるし、隣の席の子に消しゴムを貸してあげることは593条の使用貸借契約にあたる。これで例えばもし隣の席の子に約束の時間までに消しゴムを返さなかったとしたらそれは借りたものを返すという債務を怠っているので415条の債務不履行の状態にあるといえます。勿論、別な消しゴムを買ってきて隣の席の子に渡してそれで許してもらったとしたらそこでは695条の和解契約が成立したということになります。これだけ見ても、私たちの生活で民放を切り離すことはほぼ不可能に近いわけですね」  船山は教壇に立つ感覚を噛み締めるようにして全体を見渡した。普段の講義ならちらほらと居眠りをする学生がいたり、携帯電話をいじって話も上の空の学生がいたり、途中で帰ってしまう学生もいたりするのだが、今日は全員が船山の話を聞こうとその姿に視線をしっかりと合わせていた。 「民法を学ぶということは、社会の仕組みを学ぶということと同義です。六法全書のたった数ページに、いや、たった一つの条文に、さらに言えばたった数文字の法令用語に途方もない年月をかけて社会を作り上げてきた先人の知恵が宿っているわけです」  ここまで話したところで、船山はチョークを手に取った。船山が黒板に文字を書くのも今日が最後である。 「ですが、それだけの知恵を宿していても法律は完璧ではないわけです。時代は変わるし、それに伴ってニーズも変わる。それは常に修正してグレードを上げていく必要があるわけです」  船山はここで黒板に「原則、不都合、修正」と書き記した。 「不都合なんていうものは、いつだって、どこにだって存在します。法律に明文化されていない事件なんてゴマンとあるし、仮に明文化されていても原理原則を全ての事案に貫き通せば必ずどこかで不都合が生じる。ですが条文の趣旨やその法律の土台にある考え方に立ち戻って考え抜けば、必ず答えへの道筋はある。研究に勤しみ、青島学院大学で教壇に立つこと四十年。私は民法を究め、そして教壇に立って学生の皆さんに教授をすることで、このことをお伝えしたかったわけです」  船山は再び講堂全体を眺める。真剣な眼差しで講義を聴く者、真摯な面持ちで講義の様子を見守る職員、そして目を潤ませているOBやOGの面々……聴講している全ての人のことを愛おしく思え、用意された最高の花道への感謝が溢れて出て来そうになる。 「私のこの四十年で、大学にどれだけの貢献ができ、そしてどれだけのことを学生の皆さんに伝えられたかどうかは分かりません。ですが民法の研究に勤しみ、こうやって皆さんの前でその素晴らしさを伝えられる人生を送れたことを、私は本当に幸せに思えます」  ここまで話したところで、船山は演台にハンドマイクを置いた。 「本当にありがとうございました」  船山は精一杯の声を張り上げ、聴講している全ての人に深く頭を下げた。割れんばかりの拍手が船山に手向けられたところで、大学職員の女性がマイクを手に取った。 「船山先生、ありがとうございました。それでは過去に船山先生が受け持たれた本学の卒業生を代表しまして、第10期船山民法ゼミのゼミ長をなさっていた松本徹さんに、船山先生を送る言葉を述べていただきます」  職員の声と同時に、松山がマイクを片手に登壇した。講堂に向かって一礼をしたその瞬間、大きな拍手が沸き起こる。 「松本徹さんはテレビ局の報道番組部で勤務をなさったのち、現在はフリーのジャーナリストとして活躍されています。取材の範囲は医療過誤や立ち退き訴訟など多岐に渡り、地方の司法過疎の問題を取り上げたドキュメンタリー番組ではドキュメンタリー大賞を受賞されました。では松本さん、よろしくお願いします」  職員がそう言って松本に目配せをすると、松本はマイクを自らの口に向けた。
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