きっかけ

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きっかけ

「船山先生は、覚えてらっしゃるでしょうか」  松本はどこからも原稿を取り出すことなく、まっすぐに船山のことを見据えながら挨拶を始めた。 「実は、私が船山ゼミにお世話になろうと決心した大きなできごとが1つあったんです。大学1年生の冬のことです」  船山は松本の顔にまっすぐな視線を送りながらも、穏やかな笑顔を浮かべている。 「当時、私は船山先生の民法総則の講義を履修しておりました。履修の動機は、ただ単純に必修だったからということと、他のみんなが船山先生の講義を履修していたから、ということだけでした。私は模範的な学生とは非常にかけ離れていました。サークル、遊び、アルバイトに圧倒的に重点を置いた生活をしており、いざ単位認定が迫った冬には私は切羽詰まった状況に追い込まれていました」  座席では松本の話を聞きながら苦笑いをしている学生の姿も多く見受けられる。きっと彼らの中にも思い当たる節があるのだろう。 「そんな中、船山先生は私たちに単位認定のためのレポートを課されました。テーマは『無権代理行為と表見代理行為の法的性質について、判例を踏まえた考察』という、大学の授業への欠席を続け、真面目に参加していなかった当時の私にとっては非常に厳しいテーマでした」  船山はにこやかな表情を崩さぬまま、黙って首を縦に振った。 「提出期限当日の午前中、私は焦りを覚えながらこのピンチを切り抜ける方法を探していました。するとそのとき、私にとって光明とも言える情報が舞い込んできたのです。それは……」  松本は少しだけ間を取る。そして講堂の中にいる全ての人の視線が松本に吸い込まれた瞬間、再び口を開いた。 「船山先生のレポートでは、おいしいカレーライスのつくりかたを完璧に書けていれば単位がもらえるというものでした」  講堂内のあちこちから笑いを噛み殺すような声が聞こえてきた。
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