髪の話

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髪の話

 少しずつ、少しずつ……彼女に気付かれないスピードで。少しずつ、少しずつ……僕らの中へと引き摺り込もう。君に警戒されないように、じっくりと様子を伺いながら。長い時間を掛けて、惜しみなく愛を注いで。それでも僕らは、決して手を緩めないから。 「愛してるよ」 「何ですか? 急に」 「愛してる。好き過ぎて堪らないよ」  君が欲しい。黒猫ちゃんが欲しい。僕らの居る世界に。欲しくて欲しくて堪らない。 「えへへ、私もですよ」 「本当かな。僕らが君を想うくらい君も僕らを愛してくれてる?」 「本当ですよ。皆さん何でそんな風に言うんですか。私の言い方嘘っぽいですか?」  今愛してくれている以上に、もっと僕らに近寄って欲しい。良くも悪くも僕らに染まり切って欲しい、愛しているからこそ。 「信じていいよね?」 「はい。信じて下さい」  君が悲しまないように……なんて、そんなの詭弁だ。もし本当に僕らを愛して止まないなら、僕らと一緒に居る事で君がドス黒く汚れたとしても本望なはずだろ?  僕らのために悲しんで苦しんで泣いて傷ついたとしても、それは君が「良心」って言う、偽善めいた感情に惑わされてるだけの一時的なものに過ぎないよ。そうなった時に良く考えてみたらいい。君にとって大事なのは「平穏」なのか「僕ら」なのかって。 「信じるよ。ううん、信じてる、初めから」 「何かあったんですか? 何だか最近変な感じですよ?」 「そうかい?」 「……大丈夫ですか?」 「何がだい?」 「何がって……」  でも今はまだ「両方」って言うんだろうね。暗く澱んだ沼で沈んでいる俺達兄弟を、何とか引き上げようとしている。でもね、黒猫ちゃん。僕らは君に温かい場所に引き上げられるより、暗い所へ君も引き摺り込む方がいい。引き摺り込む事で君を汚してしまうのを僕はとても悲しいと思うよ。苦しめてしまう事をとても辛いと思うだろうね。  でもきっとそれも、僕の中にある「良心」って言う、偽善めいた感情に惑わされてるだけの一時的なものに過ぎない。 「……何でもないよ。思春期の我侭みたいな。いっぱい愛して欲しいって思ってるだけ」 「大学生になって思春期とか言い出すのはちょっと……」  全員で一緒に苦しむのなら平気だろ?良心の呵責なんてほんの一時的なものだよ。ほんの少しの間、一緒に苦しもう? そうしたらその先には、僕達にとっても居心地のいい世界が広がっているに違いないから。 「にゃーん」 「また?!」 「思春期の我侭の発散をご協力しようと思いまして」 「それリオン兄さんにやってあげた方がいいね……」  全く……手段を選ばないね、君も。ねぇ、黒猫ちゃん。君が僕らを温かい場所へ連れていくのが先か、僕らが君を暗い所へ引き摺り込むのが先か……。どっちの愛が強いのかな。  僕らは自分の想いの方が強いなんて思ってるけど、君も同じように思ったりしてるんだろ? 僕らは君をゆっくりと時間を掛けて侵食していくよ。少しずつ少しずつ、君が警戒しないスピードで。惜しみなく愛を注ぎながら、でも決してその手を緩めたりはしないからね?
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