無窮

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「あの、吉川先生が学校に来られています。自転車で来たと大汗を掻いていまして、教室に待機しております、少しご様子がおかしいようなのでお電話しました」 「ああそうですか、おかしいと申しますと?」 「そもそもこの時間に予定されている行事案内は届いておりません、夜間の行事は届け出が原則ですし、そもそも吉川先生は引退されて二年が過ぎています。勘違いされているならいいのですが、ずっと教壇の前にいて、黒板に色々書かれておられます。声を掛けましたら黒板消しを投げられました。このままですと警察を呼ばなければなりません。お迎えに来ていただくわけにいきませんか」  私は車で向かいました。家内は警備員の言ったように黒板にびっしりと文字を書いていました。 「あなた、どうしたの?」  私が教室の扉を開けると驚いていました。驚いたのは私の方です。同窓会かと思って送り出しましたが生徒など誰もいない。 「どうしたのって、それは私の台詞だよ」 「おかしな人」  家内は笑い始めました。黒板は端から端まで漢字で埋め尽くされています。笑いながらそれを消し始めました。亜、阿、唖、愛、合、相・・・と消しながら意味と読みを発生しています。消し終わると次は青からだよと黒板に囁くのでした。 「おい、どうした」  私は狂ったような家内を抱きしめました。するとふわふわとクラゲのように崩れてしまいました。警備員に負んぶしてもらい車に乗せました。 「あなた、私どうかしたの?」  覚えていないようでした。それから毎日中学校に出掛けていました。その度に警備員が知らせてくれました。認知症と向き合ったのは警備員の一言でした。
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