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「前から気になってたんですけど、うちの水族館を傘下に選んだのはどうしてですか? うちは古くて、どちらかというと昔ながらの水族館だし、大きいところに比べたらお客さんも少ないから、買収するのにはリスクがあったでしょう?」
「確かにそうだ。しかし、いろいろな水族館を見て回るうちに、やはりあそこがいいと感じたんだ。古くても地域の人間に愛されているし、古いからこそ、新しく改善していけるものがたくさんある。それに、芹沢やおまえなど、一緒に仕事がしたいと思う人間があそこにはたくさんいたからな」
(え……)
「それって、一弥さんは前からわたしのこと知ってたってことですか」
「ああ。まだ買収を決める前、マリンパークを視察で訪れたときに、おまえを見かけた」
「そうだったんだ……。知らなかったな」
「イルカの担当は水族館の花形と聞いていたのに、ずいぶん地味な女だと驚いた覚えがある」
「それはすみません」
「しかし、おまえの出演するイルカライブを見て、もっと驚かされた。その地味な女が、ステージに立ったとたんに表情が見違えるほど輝きだしたんだ。ウエットスーツを着たおまえは、イルカにも劣らない、ショーの華だった」
一弥がこちらを見つめる。その包み込むような眼差しに、胸のあたりが勝手に騒ぎ出すのを感じた。
「それからずっと、おまえと話がしてみたいと思っていた」
「それは、どうして……?」
「さあ。どうしてだろうな」
一弥の声が低くなった。囁くような、深くてやさしい声。二人のあいだにある雰囲気ががらりと色を変えたのを感じる。それがなんとも照れくさくて俯いていると、ふいに一弥の指先が頰に触れた。そのまま顔を上げさせられて、目が合ってしまう。
「あの……一弥さん。わたし、あなたに話さないといけないことがあって……」
「なんだ?」
「わたし、男の人と、その……夜を一緒に過ごすの、初めてなんです」
そう打ち明けると、一弥はおかしそうに小さく笑った。
「なんだ、そんなことか。言われなくとも、予想はついていた」
囁く一弥の声が甘い。触れる指先も、それ以上に甘い。頰に指を添えられたまま、唇にやわらかなキスが落ちてきた。
「初めてでも、そうでなくてもいい。俺にとっては、今こうしておまえと一緒にいることが一番重要なんだ」
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