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「そうだ。むしろ、そんな思いをしたのにも関わらず、プールに入って仕事をしていることだけでも大したものだ。イルカチームのこともうまくまとめてくれているし、社長として本当に感謝している。ただ……いつも仕事に全力なのはおまえのいいところだが、あまり無理を重ねるものじゃない。そう思わないか?」
一弥の声と眼差しが真剣だった。心から自分のことを思って言ってくれるのがわかって、なぜなのか、目の奥が勝手に熱くなる。
泣き出してしまう前に俯いて顔を隠したくなるが、一弥の手にしっかりと両頬を押さえられているせいで、それもできない。とうとう、堪えきれずに涙があふれ出した。
「どうして泣く」
「すみません……。わ、わたし、ずっと自分がだめなトレーナーなんじゃないかって、思ってたので……」
嗚咽を堪えながら、なんとかそれだけ口にする。
観客に喜んでもらうことが自分の仕事のひとつにも関わらず、「ハイスピン」を再開できずにいる自分はプロとして失格なのではないか。毎日慌ただしく働きつつも、そんな思いがいつも渚の心にあった。
「そんなことはない。あの水族館にも、イルカたちにとってもおまえは欠かせない人間だ。もっと自信を持て。ライブステージに立つおまえは美しい」
相変わらず居丈高なもの言いだが、渚の涙を拭う指先は優しかった。ずっと心の奥底につきまとっていた苦しみが、一弥の言葉ひとつでゆっくりとほぐれていく。それは初めて味わう、不思議な感覚だった。
「……一弥さんって、不思議な人ですね」
「なんだ、急に」
「急じゃないですよ」
渚は涙を拭った。
「合コンではじめて会ったときから、変わった人だなって思ってました。おまけに親会社の社長だなんて……。付き合うことになってどうしようって、わたし、今日までずっと悩んでたんですよ」
「そうなのか?」
「そうですよ。でも……」
胸のうちにある思いを伝えていいものか迷ったが、今は、自分が感じていることを素直に言葉にしたかった。渚は目の前にいる一弥をまっすぐに見つめて口を開いた。
「今日はとても楽しかったです。わたし、一弥さんとデートができて、本当によかった」
「渚……」
少し驚いたような表情の一弥に笑顔を返す。
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