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4 Englishman in N.Y.-1
翌朝は、前日の嵐が嘘のように見事な快晴だった。
J《ジェイ》は、もっそりとソファから身を起こし、壊れかけたブラインドの隙間から容赦なく突き刺さる朝の陽光に目を眇めた。
チラリと時計に目を移し、テーブルの上に手を伸ばして、マルボロのパッケージを引き寄せる。
天井をぼうっと眺めながら
まずは今朝の一服目を胸に吸い込む。
癖のある苦味と仄かな甘さが口の中に拡がる。血管が収縮して、また開く。
ゆっくりと吐き出しながら、Jは昨夜の顛末を思い浮かべた。
突然、自分を訪ねてきた大統領府の秘書官の青年。土砂降りの雨の中を、濡れた仔猫が迷い込んでくるように転がり込んできた、サイモンと名乗る男。
かなりの発熱ではあったけれど、だが意識ははっきりしていたようにJには思えた。添寝をせがみ、人探しとボディーガードの依頼をしたいと唐突に申し出てきた。しかも……
ーーなんで、アイツは俺の仕事の通称を知っているんだ?ーー
考えられるルートはふたつ。まず、仲介人から聞き出した。ーだが、仲介人は長く裏社会に根を張っている男だ。仕事の依頼人でも無い男に|Jジェイについて話すことは無い。
いや、そもそも仲介人はJの居場所を知らない。
もうひとつは、彼が、別な手段でJの情報を手に入れて接触してきた、というケースだ。
正直、よほど腕ききの探偵か諜報員であっても、Jの正体を掴むことは難しい。仲介人の下には何人かのメンバーがいて、Jの仕事のために情報を集めたり、段取りをすることはあっても、仕事の絡まない相手にJの情報を流すことは無いし、彼らもJの住まいは知らない。
ーーC.I.Aか、あの国の諜報員か……ーー
いずれにしても、仕事の依頼なら、仲介人を通して接触してくる。
でなければ、もっと直接的に消しに来る……筈だ。
それに、彼の手元にあるーー彼がハッキングして得た諜報員のリストの中にはサイモンとおぼしき人物はいない。
そして、彼がJと名乗っていることを知っている人物は、彼が知る範囲ではあと一人……。
それに、サイモンはJを「狙撃手」ではなく、「探偵」と呼んだ。
ーーまさか……なーー
彼が幼い頃に出逢った姫君は、金髪に翠玉の、深緑の瞳をしていた。
成長して髪の色が濃くなったとしても、目の色は変わらない。
Jは、ふと自分の額に手をやった。
昨夜はサイモンが眠ったのを確かめてから、念の為、PCでエージェントのリストを確認して、ソファに転がった。
少々、バーボンをいつもより多めにかっくらったせいか硬いソファでも眠りは深かった。
が、真夜中の深い闇の中でふっと人の気配がしたような気がした。Jは前髪をそっと持ち上げられ、彼の傷に柔らかなものがふと触れたような気がした。
そうして、その気配はまたスッと消えた。
訝しく思ったJ はそうっと隣の部屋に近づき、ドアを小さく開けて覗き込んだ。が、サイモンは変わらずにスヤスヤと寝息をたてていた。
ーーヤツの目的はなんなんだ?ーー
彼が仮にあの姫君だとしても、何故、偽名を名乗るのか、それがJには不可解だった。
いにしえの姫君の家族も護衛も、間違いなく、彼をミシェルと呼んでいた。
そして、大統領府の職員の名簿には間違いなくサイモン・カーティスの名前と隣の部屋で眠っている彼自身の画像があった。
彼の父親である上院議員は結構、有名な人物だ。
ケンブリッジの寄宿学校出というのが少々、引っかかるが、ハーバードの大学院も出ている。紛うことなき折り紙付きのエリートだ。
Jはのっそりと起き上がり、エスプレッソマシンでコーヒーを落としながら、ブラインド越しに、昨日とは打って変わって、蒼く晴れ渡った空の彼方を見た。自由の女神が僅かに見えた。
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