Introduction 2

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Introduction 2

 薄暗闇の中を鉄の階段を用心深く降りる。コンクリートの剥き出しの壁に尖った靴音が突き刺さり跳ね返って、否が応にも神経を緊張させる。 「プールバーねぇ……」  決して広くはないフロアはやはりコンクリートの床で、その中央にビリヤードの台がデン……と置かれている。壁に掛けられたフックとそこに並べられた使い込まれた数本のキューの木目にふっと肩の力が緩む。 「いらっしゃいませ……」  薄明りの下、目を凝らすと階段に隠れるように分厚い黒光りするオーク材のバーカウンターがあり、その中で初老の男が昔ながらのバーテンダーのいでたちでグラスを磨いていた。  男は辺りを窺いながら、覚束ない足取りでフェイクレザーのスツールに腰を降ろし、カウンターに肘をついた。 「70’Sみてぇだな……」  男の口許から漏れたボヤキとも感嘆ともつかない呟きにバーテンダーの口許が僅かに緩んだ。 「お嫌いですか?」 「いや……」  男はぞんざいに言葉を投げ捨てて、口の端を小さく歪めた。 「ガキの頃は憧れてた」 「左様ですか」  バーテンダーはさらりと返して、背後の古びた棚からウィスキーの瓶を一本、手に取った。 「バーボンでよろしいですか?Mr.J(ミスタージェイ)」  男の眉がピクリと動いた。 「あんた……」  口を開こうとする男の言葉をバーテンダーの視線が制した。 「今夜はあなたとあの方以外は誰もお見えにはなりません」 ーーコイツ……ーー  J(ジェイ)と呼ばれた男の顔が瞬時に強張った。 「バーボンのダブルがお好みとか……こちらをどうぞ?」  す……と差し出されたカットグラスを手に取った。掌の中で飴色の酒が揺れて、無造作にカットされた氷が仄かな灯りに淡く光る。 「ローゼズ……?」 「はい」  男の怪訝そうな呟きにバーテンダーは穏やかな表情と口調を崩さずに答えた。 「ターキーがお好みと伺ってはおりますが、一杯目はこちらを差し上げて欲しいとのご指示を承っておりますので……」 「相変わらずキザな野郎だ」  J(ジェイ)は、グラスに口をつけ、一口含んだ。バーボンには珍しい甘い香りが鼻腔に拡がる。  渋いスモーキーな香りが特徴のバーボンのなかで、このフォアローゼズだけは、花のような果実のような香りがする。『ふたりの出会いを永遠に』との意味合いを込めた名を着けられた、凡そ草臥れた中年男には似つかわしくない酒に思わず苦笑が漏れた。 「煙草はあるか?」  男ーJ(ジェイ)は、瞼にかかった癖の強い濃い茶色の髪を掻き上げて、バーテンダーに尋ねた。 「ありますが……」  男はほっとしたように息をつき、それからポケットの中に捩じ込んでいた空のパッケージをカウンターの上に放り出した。 「マルボロはあるか?」 「残念ながら……」  バーテンダーの答えに男は小さく舌打ちをし、思い出したように付け加えた。 「あるやつでいい……ただし、ジタンは止めてくれ。ダンヒルもだ……俺みたいなショボくれた奴には似合わねぇ。そうだろう?」 「左様で……」  バーテンダーは大袈裟に肩をすくめ、カウンターの下から探り出した箱を男の前に置いた。 「ここはアメリカではないので……」  男は深い青色のパッケージに鳶色の瞳でへにゃりと笑って封を切った。 「スリーファイブなら上等だ」  ズボンのポケットからライターを取り出し、最初の一本に火を点した。煙草の匂いと白い煙とともにジッポのかすかなオイルの匂いが立ち昇り、揺らいで消えた。いびつに歪んだ武骨な鉄の塊を長く節くれ立った指が翫ぶ。  硬くなった掌、両手の指に不自然に出来たタコが、男の生業を垣間覗かせる。  男は、J(ジェイ)は裏社会の片隅で、殺しを生業とする狙撃手(スナイパー)だった。  自由の国アメリカ大陸の、アパラチア山脈の麓の小さな町に生まれ育ち、由縁あって裏稼業に手を染めた。狙撃手(スナイパー)と言ってもマフィアに雇われているわけではない。ある筋からの依頼を時折こなすだけの、まったくのフリー。……だったはずだった。  だが、ある誓いにー『約束』によって彼は生まれ故郷のアメリカから引き剥がされ、事実上の廃業、引退に追い込まれた。 ーまぁ恨む筋合いも理由も無いがな……ー  紫煙を一息吐いて、J(ジェイ)はふっと息をひそめた。  
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