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ドアの上、一枚板に浮かんだ文字は―――、
BAR man……mann……mannequ……mannequin。
あれは「マヌカン」と読むべきだったのか、それとも「マネキン」だったのか……。
いずれにしろ、あの店名が俺を誘ったんだ。
また違う瞳が、
『ねぇ、覚えてる?』
なまめかしく問いかけてきた。
「……ああ」
脳内で答えた。
「きみたちの唇に紅をさし、あの油性マジックで胸の先端に朱を乗せ、下腹部に陰りを加えて……そうしてからきみたちのすべてを慈しんだんだ」
昇華した欲望の実体験が、泥酔状態にあっても毎度克明に網膜に刻み込まれるのは、人間の性ゆえなのか……。
『ねぇ、覚えてる?』また違う女。
「……ああ、この病気は勝代とつき合い始めてから発症したんだ。それ以前は一度たりともなかったし、いくら酩酊しても、きみたち以外のものを拾ってきたことはない」
『ねぇ、覚えてる?』その後ろの女。
『ねぇ、覚えてる?』また違う女。
『ねぇ、覚えてる?』また。
『ねぇ、』また。
『ねぇ、』
『ねぇ、』
『ねぇ、』
「待ってくれ! その前に教えてくれ! きみたちは……きみたちはどこから、どうやって俺に連れてこられたんだ!?」
『……』
『……』
『……』
『……』
途端、静寂に包まれた部屋。
そこに間もなくして響いたのは―――。
“ピンポ~ン”
インターホンの音……のみ。
“ピンポ~ン……ピンポ~ン……ピンポピンポピンポ~ン……”
勝代の性格を表すせっついたリズムは、破滅への合図でもあった。
こんなに早く到着したのは―――おそらくカレ―と白米は、インスタントを買ってきただけなのだろう……。
不思議と冷静な判断力を持てたのは、これで奇病から逃れられる、といった安堵からのことだったのかもしれない。
〈了〉
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