0人が本棚に入れています
本棚に追加
彼女とは数日前、この海で出会った。
僕は夏の仕事帰りには、近くのコンビニで好きな飲み物とアイスを一つ買い、必ずこの海を眺めてから帰ることにしていた。大体毎日アイスコーヒーとチョコモナカを買っている。
海を見ると、その日あった嫌なことや失敗したことが全て本当に小さくてどうでもいいことに思えてくる。
心を空っぽにして、ただ波が打ち寄せて来るのを無心に、気が済むまで眺めているのが好きだった。海の近くにマンションを借りて、本当に良かったと思う。
僕はいつものように、ベンチに座り、コーヒーにストローをさしながら海の方を眺めていた。
すると、視界の端に何かが映った。
人生で出会ったことのない光景を目にして一瞬頭が真っ白になる。
下の砂浜に誰かが倒れているのが見えた。目を凝らす。女の人だろうか。
僕は、咄嗟に買ったものを全てベンチに置き、砂浜に通じる階段を駆け降りて、倒れている人の元に向かった。
近寄ると、その人はうつ伏せに倒れていた。髪の毛は、少しブロンドがかかっていて、真っ白な長いワンピースを着ていた。靴は履いていなかった。
「大丈夫ですか」
僕は地面にしゃがむと、彼女の耳元近くで尋ねた。
何度か声をかけると、彼女はうっすらと目を開いた。
「立てますか?」
彼女は、僕の言葉に頷くと、ゆっくり上半身を起き上がらせた。
僕は、着ていたスーツの上着をはおらせ、近くの座れそうな岩場まで案内した。足を引き摺るようにして歩いていたので、そこが少し気がかりだった。
彼女は、虚ろな目をしていて、すごく儚げで触れただけで消えてしまいそうな感じがした。
僕は、温かいものを買ってこなかったことを急に後悔する。
浜辺で倒れていたから寒かっただろう。
「何か温かいもの買ってきますね」
僕は彼女に話しかけて腰をあげようとすると、強い力でワイシャツの裾を引っ張られた。
「冷たいものが欲しい…です」
それが、彼女が発した第一声だった。僕は、持っていたアイスコーヒーと迷った、末溶けかけているチョコモナカを渡した。彼女はアイスコーヒーを少しだけ飲んだあと、
「ありがとう」
と少しだけ微笑んだ。海の底のような深い青色の瞳をしていた。
「君はどこからきたの」
「わからない。何も覚えてなくて」
彼女の正体はとても気になったが、彼女自身が思い出せないなら仕方ない。
僕は、話すこともなくなり、彼女が手元にあるアイスを一生懸命食べている間、僕自身の話を始めた。
彼女は最初無表情だったが、僕の話を興味深そうに聞いており、時々くすくす笑った。笑った顔がどきりとするくらい可愛くて、僕は他に面白い話がなかったか、今までにないくらい頭をフル回転させた。
それが僕と彼女の出会い。
それから、僕と彼女は毎日海のベンチで出会い、色々な話をした。
彼女は日に日によく笑うようになっていったが、自分のことは相変わらず思い出せないようだった。ただ海の近くはとても落ち着くと潮風に長い髪をなびかせながら、僕が半分に割ったチョコモナカをいつも美味しそうに食べていた。
最初のコメントを投稿しよう!