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夕方と夜のような薄暗い空の下、僕はあのベンチに辿り着いた。
彼女は、いつもの海沿いの白いベンチに座っていた。
僕は無言で彼女の横に座る。
彼女は、氷がたくさん入ったアイスコーヒーを飲みながら、いつもと同じように大きな麦わら帽子をかぶっていた。
「今日、来てくれないんじゃないかなって思った」
彼女は半分くらい飲んだアイスコーヒーを、ゆっくりベンチに置いた。僕たちはいつも7時ごろ自然とこのベンチに集まっていた。今日は30分も過ぎている。
「ごめん」
「勝手に私が待ってるだけなのにね」
彼女は、寂しそうに笑った。
僕はコンビニエンスストアのビニール袋から、モナカを取り出し、いつものように半分に割った。
「ありがとう」
彼女は、僕が差し出したアイスを受け取り、また海の方を見つめた。
規則的に浜に寄せる波の音が、遠くから聞こえてくる。僕たちの間にある、無言の時間を埋めてくれるようだった。
僕は手に持っていたアイスを齧った。少し溶けてドロッとした甘い液体が口の中で広がる。
「もう、とっくに君は自分のことについて色々わかってるんじゃない?」
僕は、沈黙を破るように、彼女に問いかけた。
彼女は驚いたように僕の方を見て、少し黙った後口を開いた。
「この前わたしのお姉さんと名乗る人にあったの。わたしは人魚なんだって。信じられる?」
僕の台本のメモと一緒だ。彼女は僕たちが作った劇に出てくる人魚姫なのか。半信半疑の気持ちが少しずつ確信に変わっていく。
大きな瞳から大粒の涙が溢れた。
「最初は嘘だと思ったけど、わたしは足を与えられたばかりだから、うまく歩けないし、海の中で息もできるの。これって普通の人間とは違うんでしょ?
黙っててごめんなさい。私がもし人間じゃないって言ったら、もう会ってくれなくなっちゃうんじゃないかと思って。」
僕は彼女のそばにより、反射的に強く抱きしめた。彼女はすごく冷たかった。
「そんな風に見えた?」
「だって、気持ち悪いもん」
彼女は依然として、泣きながら僕の肩に顔を埋めた。彼女は海の匂いがした。
彼女の髪を優しく撫でる。彼女の髪は絹のように柔らかかった。
「しゃべっていても、一緒にいてアイス食べていても、一人でここに座っている時より、何倍も楽しいの。」
「僕もだよ」
僕は、彼女を抱きしめていた手を緩め、彼女の目を見つめた。
「君が好きだ」
彼女は、涙を流しながら何度も頷いた。
僕は、彼女の唇にそっとキスをした。そして、もう一度彼女を強く抱きしめた。
「一つ叶った。これで十分だわ」
彼女は僕の腕の中でそう呟いているように聞こえたが、聞き返す余裕はなかった。
また明日もここで同じように会える。そしていろんな話がまたできる。
僕はそう信じて疑わなかった。
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