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「はい」理沙は蚊の鳴くような声で返事をし、催眠術にかかっているかような、焦点の定まらない、うつろな表情を見せ立ち上がった。
畑中は目を細め、頭のてっぺんから足元まで、舐めるように視線を巡らせた。
理沙は、畑中の視線を感じたのか、反射的にたじろぐ。しかしもはや蛇に睨まれた蛙同然。弱々しくも、一歩二歩と引き寄せられるように足を踏み出す。
自分が選択した道を危ぶんでいる迷いと、しかし引き返すことはできないところまで来てしまったという諦めとが入り混じっているのだろう。畑中の前に来ると、か弱い身体は室温二十六度に設定された部屋で、凍えたかのようにぶるっと震えた。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
「え」宮嶋理沙は顔を上げ、かすかな希望を瞳に滲ませて畑中を見た。
「魚心あれば水心っていうじゃないですか。全てギブ・アンド・テイクです」
畑中はふっと頬を緩め、ひと呼吸おいてから理沙の顔を見つめた。怯えた表情を見せる相手に対し、にたりと片頬を歪ませる。
「しかし、世の中は平等ではない。それもわかりますよね」
理沙は「え」と何かに気づいたように顔を上げた。目を伏せる。抗えないことをわかっていながら、力なく顔をを左右に振る。一歩二歩と後ずさる。
畑中は、素早く大きく一歩踏み出し相手との距離を詰め、目の前にいる獲物の両肩をがっしりと掴んだ。
この時を待っていたように、エアコンが音を立てて働きだした。
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